垣根・塀を考える ― 2006年05月20日 17:06
かねがね塀とか垣根に興味があった。というのは、日本でも塀や垣根が一般的にある地域とない地域がある。また、欧米でも国や地域によって異なる。単にいろいろあるというなら当たり前のことなのだが、それは地域性があるという点が気になるのだ。
もちろん、垣根や塀は自分の家を囲うことだから、ある種排他的なものだろう。そして、自分の家を覗かれたくないという表明に違いない。
オランダは長屋形式の家が多いのだが、表通りには垣根や塀がなく、しかも、大きな窓があってカーテンをしないのが一般的だ。最近はレースのカーテンくらいする家が増えているようだが、家の中を見せるというのが、何か倫理的な意味があるらしい。「地球の歩き方」によると宗教的な意味があるのだそうだ。
しかし、そうした長屋形式の家には裏側に大きな庭があって、それはしっかりと垣根(たいていは生け垣だ)で仕切られており、庭は見えないようになっている。つまり、形式的に見せる部分と見せない部分とに分かれているというわけだ。垣根や塀のない構造をもった家の場合、庭が裏側にあって、そこは見えないという構造になっている場合が多いようだ。つまり、外に対して開く部分とプライバシーを守る部分とを共存させているわけだ。もっとも、垣根がないといっても、ずっと昔は都市そのものが城壁のようなもので囲われていて、その中は共同体のように見知った者が住んでいた時代もあるから、その名残に過ぎないのかも知れないが、やはり、現代でも垣根をもっていないということは、それなりの「意識」があるのだろう。
私自身、垣根がない家が好きなので、家を建てたときには、やはり、表側は塀を作らなかった。そうした家は周りにけっこう少なくない。
偶然、丸山真男に、「垣根とルソー」という短文があることを知って、読んでみた。西の郊外に引っ越したのだが、垣根を作らないでいたところ、近所に家が建ち始めたところ、最初に垣根を作って、それから家を建てるところが圧倒的で、垣根だけ作って家が建たないのもあるというのが話題となっている。そこで、丸山らしくルソーの「人間不平等起源論」を思い出したという。ルソーは、「誰かが自然の土地に勝手に囲いを作ってこれは俺のものだと宣言した瞬間から、私有財産がはじまったといい、その際『こんないさかまのいう事を聴くな、土地は万人のものだ』と叫んで杭を抜く結城を持った者がいたなら、戦争・殺人といった人類の罪悪の発生は防がれたであろうと慨嘆している」という引用がある。その影響で垣根を作らなかったそうだが、子どものちょっとしたいざこざで垣根を作ったのだとか。
ルソーのその記述は記憶にないので、今度探してみようかと思うが、やはり、垣根という「囲う」意識と、「開く」=公共性の関係は、日常的な住民の意識として、地域性と絡んでなかなか興味深い問題なのではないかと思う。(丸山真男著作集5)
もちろん、垣根や塀は自分の家を囲うことだから、ある種排他的なものだろう。そして、自分の家を覗かれたくないという表明に違いない。
オランダは長屋形式の家が多いのだが、表通りには垣根や塀がなく、しかも、大きな窓があってカーテンをしないのが一般的だ。最近はレースのカーテンくらいする家が増えているようだが、家の中を見せるというのが、何か倫理的な意味があるらしい。「地球の歩き方」によると宗教的な意味があるのだそうだ。
しかし、そうした長屋形式の家には裏側に大きな庭があって、それはしっかりと垣根(たいていは生け垣だ)で仕切られており、庭は見えないようになっている。つまり、形式的に見せる部分と見せない部分とに分かれているというわけだ。垣根や塀のない構造をもった家の場合、庭が裏側にあって、そこは見えないという構造になっている場合が多いようだ。つまり、外に対して開く部分とプライバシーを守る部分とを共存させているわけだ。もっとも、垣根がないといっても、ずっと昔は都市そのものが城壁のようなもので囲われていて、その中は共同体のように見知った者が住んでいた時代もあるから、その名残に過ぎないのかも知れないが、やはり、現代でも垣根をもっていないということは、それなりの「意識」があるのだろう。
私自身、垣根がない家が好きなので、家を建てたときには、やはり、表側は塀を作らなかった。そうした家は周りにけっこう少なくない。
偶然、丸山真男に、「垣根とルソー」という短文があることを知って、読んでみた。西の郊外に引っ越したのだが、垣根を作らないでいたところ、近所に家が建ち始めたところ、最初に垣根を作って、それから家を建てるところが圧倒的で、垣根だけ作って家が建たないのもあるというのが話題となっている。そこで、丸山らしくルソーの「人間不平等起源論」を思い出したという。ルソーは、「誰かが自然の土地に勝手に囲いを作ってこれは俺のものだと宣言した瞬間から、私有財産がはじまったといい、その際『こんないさかまのいう事を聴くな、土地は万人のものだ』と叫んで杭を抜く結城を持った者がいたなら、戦争・殺人といった人類の罪悪の発生は防がれたであろうと慨嘆している」という引用がある。その影響で垣根を作らなかったそうだが、子どものちょっとしたいざこざで垣根を作ったのだとか。
ルソーのその記述は記憶にないので、今度探してみようかと思うが、やはり、垣根という「囲う」意識と、「開く」=公共性の関係は、日常的な住民の意識として、地域性と絡んでなかなか興味深い問題なのではないかと思う。(丸山真男著作集5)
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