悠仁親王「東大進学反対書名」騒動について ― 2024年09月02日 16:57

 8月30日に「週刊ポスト」の記事がウェブ上にアップされた。「「あまりに悪質」悠仁さまの「東大進学に反対署名1万人超」運営サイトが署名ストップさせた理由」という記事である。25日に秋篠宮夫妻とともに「国際昆虫学会議」に出席したあと、同会議のポスター発表をすることを報じたあとに、以下のように書いている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/77007afb53f810290c3a9eefb8dea940c14913e4

 「一方で、悠仁さまをめぐっては看過できない問題が起きている。この開会式前日まで「悠仁さまの東大進学に反対する署名活動」がオンライン上で2週間にわたって続いていたのだ。8月24日を境に署名ができないようになっているが、何が起きたのか。署名活動が展開されていたオンライン署名サイト「Change.org」の広報チームに問い合わせるとこう回答があった。」

 そして大学ジャーナリストの石渡嶺司という人の以下の言葉を紹介している。
「1万人以上が署名して物議を醸しています。悠仁さまに限らず誰であれ、どの大学に挑戦するかはまず本人の意思が尊重されるべき。仮に報道のとおり悠仁さまが東大への推薦入学を希望されているとして、名門校の学内では推薦を受けるのも高いハードルがあり、そのために論文執筆など努力を重ねて何が悪いのか。ネット上で匿名参加できるのをいいことに騒ぎ立てる行為はあまりに悪質ではないか」

 最後に、受験生にとっては「勝負の夏」であるから、雑音に惑わされない環境が望まれると結んでいる。
 この記事を書いた人や石渡氏は、書名に付された文章を読んだのだろうかという疑念がわく。もし読んでいれば、「高校3年生の悠仁さまが「トンボ論文」で国際デビューを果たしたことは、「来春に推薦入試制度を利用して東京大学への進学の可能性が報じられるなか、推薦入試で求められる活動実績として高く評価される可能性がある」(皇室ジャーナリスト)と見られている。」などと簡単に書けるはずがないと思われるからである。

 署名は、噂される悠仁親王の東大推薦入学に反対するひとたちがネット上で行ったものである。1万人を超えたところで、批判などがあり、署名サイト(Change.org)が中止させたようだ。しかし、文章そのものはまだ残っているので読めた。私自身は、この署名について知っていたが、趣旨に賛成でもこうした署名やアンケートには一切回答しないことにしているので、署名をしないでいたが、こういう状況になってみると、署名しておけばよかったという気持もある。
 まずこの記事(ポスト)のおかしさを指摘しておこう。
 石渡氏は、どの大学に挑戦するかは本人の意思が尊重されるべき、と書いている。もちろん、そのことは正しい。しかし、問題となっているのは、そもそも本人が東大を望んでいるかどうか、究めて疑問である点だ。もし、本人が望んでいるのだとしたら、この夏にはかなりの受験勉強に励んでいるはずである。いくら推薦入学でも、東大の場合には、共通テストで800点以上をとることが条件となっているといわれている。800点というのは、そんなにやさしいものではない。本人の高校での成績は、文春が暴露したことが、ほぼ正しいと思われるから、800点はほぼ無理だろう。しかし、本人の意思で東大進学したいのであれば、それを突破すべく猛勉強しているはずであるが、そのようにはみえない。これは、志望も含めて、まわりがお膳立てしているからだろう。
 また、学会誌に掲載されたという論文の研究を、ほんとうに親王自身が中心的に行い、論文を執筆したと考えている人は、実際に学問をしている人の間では、ほとんどいないと断言してもよいほどだ。推薦入試のハードルは、共通テスト以外はクリアしているなどとも報道されているが、推薦わくにはいるための「成績」にしても、この論文にしても、筑付や東大で、もしそう評価されているのならば、それは不当な皇室特権・権力によってなされていると考えのるが自然であろう。

 さて、以上のような疑問は、署名に付された詳細な長文の文章によって説明されている。
https://www.change.org/p/%E6%82%A0%E4%BB%81%E6%A7%98%E3%81%8C%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E3%81%AE%E6%8E%A8%E8%96%A6%E5%85%A5%E8%A9%A6%E3%82%92%E6%82%AA%E7%94%A8%E3%81%97-%E5%B0%86%E6%9D%A5%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6-%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%89%B1%E3%81%84-%E3%81%A7%E5%85%A5%E5%AD%A6%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF-%E8%B1%A1%E5%BE%B4%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6%E3%82%92%E6%A0%B9%E5%BA%95%E3%81%8B%E3%82%89%E6%8F%BA%E3%82%8B%E3%81%8C%E3%81%99%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99
 
 ぜひ実際にこの文章を読んでほしいが、石渡氏のようなムード的な見解を、完膚なきまでに論破している。
 象徴天皇制の意味と、その観点からの考察、筑付推薦入学の問題、中学時代の作文コンクールにおける剽窃問題(海外で大々的に報道されていることの紹介)、学会論文作成にみる欠陥、現代の教育制度的にみて、親王の筑付・東大入学の公正上の問題、等々が詳細に指摘されている。私自身、学会論文の問題について、教えられるところが多かった。
 それで、この署名活動の説明文で指摘されていない点について、考えておきたい。

 おそらく、この署名活動に反対する人の多くは、個人の進学に「反対する」などということが許されない人権侵害ではないか、というものだろう。もし、これが一般人に対するものだったら、たしかにとんでもない犯罪行為ともいえるものである。しかし、悠仁親王は、一般人ではない。そして、進学に関わって行われてきたことが、ほとんどすべて、一般人では決して実現できないような、特権の行使によって実現している。公人の行為に関して、それが批判されるべきことであれば、強い批判を公表することは、むしろ公益上必要なことである。
 それに加えて悠仁親王は、かなり高い確率で将来、日本の天皇になる存在である。そして、日本国憲法には、天皇は国民の「総意」によってなりたつことが書かれている。つまり、国民が、程度の差はあれ、多くのものが尊敬することによって成立するのである。「総意」がどのように証明されるかは、議論のあるところだろうが、すくなくとも、国民から、特別強い疑念が生じない状況と考えることができる。そして、たしかに、戦後の昭和、平成、令和の天皇は、国民からの支持があったし、あるように感じられる。しかし、次期天皇の可能性が高い秋篠宮については、国民の一部とはいえ、疑念がさまざまに表明されている。そして、親王の進学問題も疑念のひとつである。
 もうひとつ、今回の署名運動に対する非難は、まるで皇室批判は許されない、という「菊タブー」を思わせるようなところがある。昭和の時代には、まだ「菊タブー」はあったと思われるが、平成になって、皇室批判が雑誌などに堂々と書かれるようになり、特に、秋篠宮家の結婚騒動は、皇室批判が自由になったような一面があった。もっとも、それはインターネットの普及が促進したものであり、大手メディアにおいては、いまだに菊タブーに呪縛されているのだが。
 いずれにせよ、皇室批判が自由にできることこそ、「総意」を実感させるために必要な前提条件である。天皇が真に国民の「総意」として成立するためには、国民の間に強い疑念があれば、それを自由に表明できることが保障されており、そのうえで、そうした疑念がほとんど生じていない状況が実現していることが必要だと考えられる。そして、国民から強い疑念が表明されているような状況になったら、「総意」をえていないのだから、天皇が退位するか、天皇制というシステムが終了することになるのだろう。
 以上のことから、今回のような署名は、決して非難されるものではなく、むしろ大いに認められるものでなければならない。

鬼平犯科帳 がっかりする話3 瓶割り小僧 ― 2024年08月29日 20:44

 鬼平犯科帳ネタで「がっかりする話」を2回、中途半端になっているので、もう少し続けてみたい。優に100を越える話があるのだからは、どれもが優れた出来ばえというわけにはいかない。何度か書いているように、ある回の話と別の回の話が、辻褄が合わないことも、けっこうある。しかし、それでも全体として、小説、ドラマを含めて、鬼平犯科帳の面白さはとびきりのものだと思う。
 そういうなかで、がっかりする話として、今回とりあげるのは、「瓶割り小僧」だが、これは、実は、作者の池波正太郎が、気に入った話の5つのなかにいれているものなのだ。だから、池波は、この話を非常によくできたものだと考えていたことは、間違いがない。しかし、私は何度読んでも、あまり感心しないのだ。
 話の筋はこんなところだ。
 この話の前のことだが、旗本の息子に小便をかけてしまい、ころされそうになっているところを必死でとめて助けた(最終的には平蔵に助けられるのだが)盗賊の高萩の捨て五郎が、怪我を癒している間に、平蔵に説得されて密偵になっている。そして、足ならしででかけた先で、偶然、盗賊の石川五兵衛を発見するところから、この物語が始まるわけである。捨て五郎は五兵衛の顔見知りなので、同伴していた彦十が五兵衛のあとをつけ、翌日宿屋で逮捕される。
 そして、普段容疑者の取り調べ(拷問に近いことが行われる)に関与しない小林金弥が、取り調べを命じられるのだが、なれないせいか、黙秘する五兵衛にてこずっている。その様子を平蔵は別室からみているわけだが、はっきりしないが、なんとなく過去にあっているような気がしている。自室に帰るときに、お茶を運んできた小者が、茶わんを落として割れてしまう。その音で、昔のことを平蔵は思い出すことになる。
 それは20年前のことだが、京都奉行だった父がなくなって、江戸に帰って家督をついだ平蔵が、用事で麻布にでかけ、刀の研ぎ師の店にたちよったところ、真向かいの瀬戸物屋で子どもと主人梅吉が争っている。子どもたちがうるさいので梅吉は追い払うのだが、一人音松は立ち去らず、自分は客だといいはる。そして、大きな瓶をふたつ買うというのだ。子どもにはとうていもてないし、お金も払えないと馬鹿にした梅吉は、自分でもって帰るという条件をつけて、6文で売るという。音松は4文銭を2枚わたして、「釣りはいらない」という。そして、さあもって帰れ、といわれると、大きな石で、瓶を割ってしまう。「オレのものだから、割るのは自由だ、破片にしてもってかえるのだ」といって、立ち去ってしまう。それをみていた梅吉の義理の弟の浪人赤松が、音松をおいかけ、切りかかる。音松は恐怖で助けてくれと懇願するが、おいかけてきた平蔵に救われるわけである。そのとき、平蔵は、気がついた音松に、「大人を莫迦にするな」「莫迦な大人ばかりではない」と諭し、逃がしてやる。
 そこで、ふたたび20年後に戻り、翌日、平蔵直々の取り調べが行われる。当初五兵衛は前日と同じように平蔵を無視していたが、平蔵を「どこかでみたような」と思い、そして、ついに思い出してしまう。そして、平蔵に平伏してしまうのである。
 平蔵の裁きをみていた小林金弥と筆頭与力の佐嶋にたいして、自分はたまたま彼のことを知っていたので、白状させることができたのだ、といい、音松が義父を殺害して、母を捨てて逃げたという白状にたいして、音松にもっと目をかけてやる大人はいればよかったと語り、赤松は、瀬戸物やの主人である義兄がなくなったあと、あとを継ぎ、平蔵も目をかけてやったと語って、酒になったところで物語が終る。

 ではどういう点にがっかりするのか。
 まず、捨て五郎が五兵衛を見つける場面だが、最初どの程度の距離があったかは書かれていないが、本所弥勒寺まえの茶店にいるのだから、けっこうにぎやかだったはずである。そして、五兵衛は頭巾をかぶっており、「両頰から顎のあたりまで隠れていた」状態だった。捨て五郎は、五兵衛に以前仕事を斡旋されてあったことがあるが、「一目で嫌気がさした」というのだから、そのとき一度あっただけに違いない。にもかかわらずこの場面で、「一瞬の間に見破った」のは、いかに「捨て五郎の眼力」が優れていても、かなり不自然ではなかろうか。しかも、すぐに捨て五郎は、五兵衛のことを彦十に告げて、店の奥にいってしまうのである。
 そして、すぐに彦十は追跡して、宿屋をつきとめ、五兵衛は、翌日捕縛される。
 いかに江戸時代とはいえ、五兵衛は「江戸ではまったく盗みをしたことがない」のだし、捕まったときに、現行犯でもないのだから、なんら証拠がないわけである。いくら火盗改めとはいえ、誰であるかもまったくわかっていない人物を、拷問まで含めた取り調べをするだろうか。彼が盗賊であることは、まったく確証がないのである。あるのは捨て五郎の証言だけだ。捨て五郎に面通しをさせているわけでもないようだから、ほんの一瞬のため、見間違えの可能性だってある。しかし、そういうことは、ここでは露考えられていない。
 次に、何故五兵衛は、2、3年に一度江戸にやってくるのか。生れ故郷といっても、義父に虐待され、最後は義父を殺害して、逃亡した場所である。母親がいきていて会いに来るということも考えられるが、殺人犯なのだから、近所の者に通報される恐れがある。しかも、江戸には「鬼の平蔵」が活動しているのである。通常は、そんな江戸には絶対にいかないのではないだろうか。しかも、堂々と宿に泊まっているのである。ここに不自然さを感じてしまう。
 もちろん、このふたつの要素がなければ、この物語は成立しないのだから、不可欠なのだろう。だがもう少し自然さがほしい。
 五兵衛の義父殺しについては、五兵衛の白状によって、平蔵たちは知ったことになっているのだが、平蔵は、瓶割りの事件以後も、切りつけようとした赤松と交流しているのだから、義父殺しについて聞いているはずである。義父とはいえ親殺しであり、通常の殺人より重罪である。逆にいえば、五兵衛が自白したことも不自然にみえてくる。江戸以外では盗みの罪は、捨て五郎の進言で言い逃れできないとしても、まさか、捨て五郎が、この殺人まで知っているはずもないのだから、わざわざ罪を重くするようなことはいわないだろう。
 盗賊が裁かれたときには、多くが具体的な処分について触れられているが、この場合は、明日から小林がより詳細に尋問するという、途中経過で終っている。なんとなく物足りない感もあるが、獄門は明白なのでぼかしたのだろう。

 このように、私には不満なところが多いのだが、作者はなぜ、これを優れた5本に含めたのだろうか。
 考えられるのは、自白を引きだす機微がうまくできているし、平蔵の人間理解が滲み出ているのだが、構成の巧みさなのかと考えられる。最初に紹介した粗筋は、時系列に組み直してあるが、原作では、場面がこまぎれに転換していく。
 小林金弥のうまくいかない尋問の様子→別室でみている平蔵が記憶を呼び起こしている→うまくいかない翌日再び小林による尋問→5日前の捨て五郎による五兵衛発見の場面→翌日捨て五郎の進言で逮捕→尋問の場面で、戻る途中で小者が茶わんをわることで思い出す
 ここまでが(一)で(二)は20年前の瓶割りの場面が語られる。(三)も引き続き瓶割りの場面だが、途中で音松の家庭の事情が説明される。そして、赤松が音松をおそい、平蔵が助ける場面。(四)が平蔵による尋問で、五兵衛が自白、夕餉のやりとり、という展開である。
 そして、瓶割りの場面以外は、非常に短い挿話のように転換していく。下手すると、展開がわかりにくくなって、興味が失せていくことに陥りやすいのだが、ここでは、「なぜ?」という疑問が自然にわきおこり、それを説明する場面が続く、というように、知りたい場面が続いていくので、挿入が興味を増していくように働いているのだ。こうした構成上の工夫がうまくいったと、作者は考えたのではないかと解釈してみた。

 構成の巧みさに惹かれるか、不自然さに不満が残るか、ぜひ原文を読んでみてほしい。(文庫本では21巻にある)

途上国からの脱出4 悠仁親王の進学問題 ― 2024年08月15日 20:39

 今日は終戦(敗戦)の日とされている。正式に戦争が終ったのは9月の降伏文書の調印であるが、一般的には8月15日に戦争が終了したとされている。これは、天皇がポツダム宣言の受諾をラジオ放送したことによって、戦争が終ったのだという、一種の天皇制の意味づけを行っていることだと解釈できる。だが、戦前は決して許容されなかった天皇への批判も、戦後は可能になった。現在でもタブー視されている面はあるが、戦前に比較すれば、健全な状態になっているといえるだろう。しかし、しばらくは国民にも支持されてきた天皇制度も、近年不祥事もあり、国民の信頼はかなり低下しているように思われる。そしてそれが加速するような事態が起きつつある。
 さて、現在、様々な面で日本の社会システムの制度疲労ともいうべき点が露になっているが、「能力主義」という面からみても、適切な意味での能力主義に反する現象が拡大しているように思われる。
 教育学の世界では、「能力主義」は現代の教育を歪めている最大の社会的価値意識であると考えられているが、それは、一般社会のあいだでは、それほど貫徹しているようには思えない「能力主義」が、学校教育のなかでは、かなり人々が囚われている考えであり、測られる能力がかなり一面的であるにせよ、それなりに「能力主義」によって、教育が実行されていると考えられてきたからであろう。しかし、学校教育の分野でも、究めて問題ある形で、能力主義をよい意味ではなく、まったく悪い形で蹂躙する動きが進展している。天皇継承順位2位とされている秋篠宮悠仁親王の進学問題である。この進学問題自体は、幼稚園入園からはじまり、中学進学、高校進学と続いて行われ、そして、いよいよ大学進学へと進んできたことは、国民周知のことである。そして、すべての段階で、国民が許容するとはいえない形での、皇室特権によって入園、進学が行われてきた。形の上では、制度によって進学がなされてきたが、皇室特権が行使される形で実質的には進学が実現してきたことは、否定しようがない。
 そして、その弊害は悠仁親王自身にも及んでいると考えられている。
 筑波大学附属高校は、有名な進学校である。私自身、この学校ではないが、同系列の附属の出身であり、おそらく、授業や生徒の雰囲気は似たようなものだと思うので、悠仁親王が、どのような状況にあるかは、だいたい想像がつく。
 表面的には、なんら問題がないかのように、平穏な関係が取り結ばれているだろう。試験の結果は当然当人に知らされるだろうが、全体の順位等については、おそらく本人にも知らされていないはずである。だから、彼の成績がまわりの生徒たちに知られることはないだろう。そして、それを詮索したり、あいつは能力がない、などという態度をとられることもないだろう。それだけ大人の生徒が多く、多様性を認める雰囲気があるからである。
 しかし、だれが優秀な生徒であるかは、おのずとわかる。そして、通常はほとんど存在しないのだが、授業にほとんどついていけない生徒がいれば、そのことも自ずと感じ取られるものだ。一度も受験勉強などをせずに進学して、特別に成績がよかったわけでもない人が、こうした有名進学校に入れば、授業についていける可能性は究めて低いことも、ほぼ予想がつく。このことは、悠仁親王が筑付に進学する前からいわれていたことであり、おりおり報道もされてきた。とくに筑付のような学校では、特別な補習とか、そういった対応も通常は一切しない。だから、置き去りにされたままになるに違いない。(悠仁親王のように特別な人は、特別な対応をとられているかも知れないが。)
 こうした矢先、「週刊文春」が、「秋篠宮家の帝王教育は大丈夫か? 筑付で『異例の成績』 ひさひとさまの真実」という記事が掲載された。私にとっては、意外でもなんでもない記事だったが、こうした公の形で、悠仁親王の筑付における成績が、「生物」以外は惨憺たるものであって、とても進級できるものではないことが報道されてしまった。そうした成績であることは、ごく自然な状況といわねばならないだろう。常識的にみれば、東大どころか、偏差値の高い大学への進学など、正規の手続によって受験すれば、まず合格しないに違いない。
 しかし、他の週刊誌は、東大に推薦入学で応募すれば、確実に合格すると書いているものがある。その根拠は、学会誌に掲載されたトンボの研究が根拠となっている。では、この学術論文はどうなのか。中学時代に、作文コンクールで入賞したとされるものが、他の文章からの剽窃があったことが指摘されたことは、まだ多くの人が記憶しているだろう。さすがに今回は、そうしたことはないだろう。そして、10年近くトンボの観察を行ったことは事実なのだろう。しかし、それを学術論文としてまとめ、審査に通るような形までもっていくことに、悠仁親王か主な貢献をした、と考えている者は、どれだけいるだろうか。もし、そう考えている人がいるとしたら、よほど学術論文が書かれる際の状況について、知らないのだといわざるをえない。
 とくに理系の学術論文は、だれが本当の著者であるかを確定することは、実はとても難しい場合がある。通常は,最初に名前があがっている者(ファースト・オーサー)が中心的な役割をはたし、最後にある者(コレスポンデント・オーサー)が指導をしていると考えられる。しかし、通常理系の研究は、共同研究だから、2番目、3番目のひとたちが大きな功績がある場合もあるし、また例は少ないとは思われるが、業績つくりのために、実際には、2番目3番目の役割なのに、あえてフォースト・オーサーにしてもらって、著名な学術誌に掲載されたことで就職できる、というようなこともある。そうした実例を知っている。
 悠仁親王の論文の場合、当該分野の著名な研究者が共同研究者となっているということだから、観察データなどを作成したのが親王だったとしても、そのデータを取捨選択し、整え、そして論理構成を含めて「作文」したのが、悠仁親王だというは、ほとんどありえないことである。それを行ったのは、その著名な研究者のほうであることは間違いない。
 さて、もし悠仁親王が、筑付における東大推薦入試の枠に選択され、そして合格したとしたら、常識的に考えて、ふたつの不適切な選定が実行されたと考えざるをえないだろう。
 第一は、筑付としての4名の推薦枠にいれるために、本来はいるはずの実力をもった者が除外されたということ。そして、共通テストの点数をなんらかの形で操作されたということ、このふたつである。推薦枠にはいるためには、当然筑付での成績が究めてよくなければならない。しかし、確定的事実ではないかも知れないが、文春によって、生物以外の科目は、ほとんどが「異例」の成績であるということだから、推薦枠にはいるはずがないのである。そして、同じ理由によって、共通テストで8割という高得点をとれるはずがないということだ。そもそも、普段の生活で、受験勉強をしているようには思われないのに、そんな高得点をとれるはずがないと断言できる。究めて優秀な生徒が、たまたま調子が悪く低い点をとることはあっても、進級もできないような学力で、受験勉強をしていない生徒が、やさしいとはいえないテスト(しかも科目数が多い)で8割をとるなどということは、おこり得ないといってよい。
 筑付にしても、東大にしても、国立の教育機関であって、国民の税金で成り立っており、その入学については、公正な入学試験に合格したことをもって許可されるものである。少なくとも、国民の多くはそうしたことが実際に行われていると信頼しているだろう。そして、悠仁親王が、東大に合格し、それが皇室特権のごり押しだったとしても、表の論理としては、試験に正当に合格したと、されるならば、それは日本の学校教育の根本原則が踏みにじられたことになる。そして、国民の信頼によって成立している東大や筑付の権威が大きく揺らぐことになる。そして日本人にあたえる、負の精神作用も小さくないだろう。
 もちろん、日本の学校が全体として、それほど信頼できるような形で運営されているものではないが、しかし、それでも、公正であるべきだという意識が揺らいでいるわけではない。それが揺らいでしまう危険がある。
 そして、それを秋篠宮が強行したとすれば、それは将来の天皇制というシステムにたいして、大きな傷を残し、制度そのものが崩壊する要因のひとつとなるに違いない。

 もっとも、私は、悠仁親王が東大で学ぶことは絶対にあってはならないと思っているわけではない。将来天皇になる可能性がある人であることは間違いないのだから、そのために、ぜひ東大で学びたいというのであれば、入学試験ということとは無関係に、つまり試験など受けずに、更に入学定員にまったく影響をあたえず、また筑付の推薦枠にも影響しない形で、東大での学習を認めることを、特別にきめるのであれば、私はかまわないと思っている。そして、単位をとりたければとるもよし、学びたいことだけをまなび、試験などを受けないというのもありだろう。単位認定に関しては、一切の特別措置をとらないことは当然である。むしろ、単位もとらず、学びたいことを学んだから、自然退学となる。皇室に「東大卒」などという「資格」は、まったく不要である。個人的な見栄で、国全体の教育制度の公正さを破壊しようというのは、「国民の信託」に基づく皇室のやることではあるまい。

オリンピックのボクシングの性別問題を考える ― 2024年08月09日 21:30

 パリオリンピックが開催中であり、さまざまな議論がなされているが、大きなひとつが、女子ボクンシグにおけるふたりのトランス・ジェンダー選手の問題であろう。世界選手権では、男性だと判断されて出場を認められなかった二人の選手が、パリオリンピックでは、パスポートに記された男女別によって認めるという形で、出場が認められ、イタリア選手が、かつて経験したことのない強力なパンチを受けたとして、途中棄権する事態になった。
 この問題は以前から論議されているが、結局、組織により、また個人により、見解がことなり、社会的合意が形成されていないのだといわざるをえない。
 そもそもLGBTという言葉が、必ずしも共通理解があるわけではなく、人や団体によって、対立的な相違もあるようである。社会的な差別への取り組みで、広範にそうした対立的多様性はみられるものである。日本の代表的な社会的な差別であった部落問題でも、ある団体から、差別克服の優れた文学であるとみなされている作品が、他の団体から、かえって差別を助長する作品であると批判される、というようなこともある。(『橋のない川』など)そして、差別対応のあり方についても、1960年代から90年代にかけて、激しい運動上の対立があった。
 アメリカの黒人差別への対応にしても、たとえばアファーマティブ・アクションにたいしては、いまでもアメリカ社会は共通理解に達しているとはいえず、激しい対立状況にあるといえる。
 移民問題の扱いに対する政治的対立なども、現代における典型的な例である。

 女性差別に対する運動についても、19世紀以来のさまざまな潮流がある。
 政治的不平等からの解放、経済的平等の実現などは、古典的な女性解放運動だったといえるが、ウーマン・リブ運動などから、より社会的な意識のなかにある差別感情を問題とするようになり、そして、更に、性的志向の平等を訴える運動がおきてくる。それらを統合するような概念として、LGBTという標語が生れ、現在大きな社会運動となっている。しかし、差別解消論における多様性、対立性をまぬがれていないといえる。スポーツにおけるTの扱いなどがその典型であり、それが今回のオリンピックで現実的な問題として現れたということだろう。
 
 私は、もちろん、LGBTの基本理念、性による不当な差別は許されない、という理念は、まったく賛成である。私は定年退職したので、現在では遭遇しないが、まだ現職だったときには、毎年、LGBTに該当する学生が聴講しているので、注意を願います、などという通知を受け取っていた。しかし、どういう「注意」をすればよいのか、に関する説明は、少なくとも私がいたときには、一切なされなかった。そして、そういう学生が聴講しているという通知は受けるが、誰がそうなのかは、知らされたことがなかった。だから、実際に、この学生がそうだ、という意識でみたことは一度もないし、誰のことかもまったく認識できなかった。実のところ、知ろうとも思わなかった。まさか、そうした観点で成績に影響させたり、受講を制限したりする、などということは、少なくとも私の勤めていた大学では聞いたこともない。ただ、体育の授業もあったから、そこでは問題があったかも知れない。

 さて、今回の問題をどう考えるか。
 私はLGBT運動をしているひとたちでも、生物学的な性、社会的な性(ジェンダー)、そして性的志向が、きちんと区別されずに、あいまいに都合のよい用に主張されている部分があるのではないかという印象が拭えない。
 基本は、生物学的な性であり、それはXXとXY染色体の相違、そして、生殖機能の相違によって、判断されるだろう。この相違は、現代の医学では変更不可能なはずであり、スポーツのように、生物学的な男女では大きな影響がある分野では、男女は厳格に区別されるべきである。したがって、今回の事例では、染色体が明確に男性のものである以上、女子として出場を認めたIOCの決定は、間違っていたといわざるをえない。
 これにたいして、日本の女性の大学教授が、染色体といっても、このふたつの種類だけではなく、他のパターンもあるのだ、といって、IOCを支持するような発言をしていた人がいるが、他のパターンの場合には、別の規準(たとえばホルモン等)で判断する必要があるだろうが、少なくとも、今回の事例は、明確に男性の染色体だったのだからは、多様性によるあいまいかは許されない。
 こうしたことに誤解をあたえるのが、T、トランスジェンダーということだろう。トランスジェンダーはジェンダーを変えることであって、決して、生物的な性を変えることではない。手術をしたとしても、外形を変えるだけである。だから、トランスジェンダーしたといって、女性としてスポーツ大会にでることが許されるのはおかしいのである。

 このようなことは、ごく当たり前のことだと思うのだが、誤解している人も少なくないようなので、書くことにした。

「鬼平犯科帳」殺人者となった武士の処遇 ― 2024年07月25日 07:47

 鬼平犯科帳の魅力のひとつは、人間を単純なパターンに押し込めない点である。人は悪いことをしつつ、善いことをする、善いことをしながら、悪いことをする、善人と悪人の差は紙一重だというのが、基本にある。だから、盗賊であっても、許して密偵にする場合もあるし、容赦なく磔の刑にしてしまう、あるいは切り捨てる場合もある。
 そして、自分の部下も悪事に染まってしまう例がけっこうある。その事後措置はけっして一様ではない。悪事が深刻で重大な場合には、平蔵自身が切り捨ててしまう。「殺しの波紋」では、与力の富田達五郎は、殺害現場を見られてしまい、みた人物が、弟を富田に殺害された竹松であったために、100両もってこいと脅迫される。そして100両つくるために辻斬りなどをしていることが発覚して、平蔵に切られてしまう。お吉なる女性を恐喝していた黒沢勝之助は、お吉が雇った殺し屋に切られそうになるのを平蔵が捕縛し、切腹を命じる。だが、美人局にひっかかった佐々木新助は、盗賊改方の警備情報を盗賊側に伝え、更に盗みのさいの見張りまで勤めてしまう。そして、平蔵に悟られたと錯覚して、お才をとらえようと乗り込むが、逆に盗賊達に切られてしまう。平蔵は真相をしったが、だれもそれを知っていないこともあり、新助が、秘密の探索を行っている最中に逆に殺害されたということにして、業務上の死という扱いにしてしまう。(「あばたの新助」)これは、新助の罪はかなり重いはずであるが、平蔵が温情をかけた事例となる。より微妙なのは、「狐雨」の青木助五郎の事例である。青木は、若いころに出入りしていた盗賊と情報のやりとりをして、彼に便宜をはかり、また小物の盗賊の情報をえて手柄としていた。そのことを平蔵に察知されたと思った青木は、狐に取りつかれた風を装って、とりついた狐が自白をする。その後重病となるが、死亡したかどうかは書かれていない。
したがって、青木が罰せられることもなかったようだ。
 このように、与力、同心の場合には、それぞれの悪事によって、平蔵はかなり異なった対処をしている。

 しかし、特に、平蔵と親しかった侍の場合には、かなり部下とは異なる対応になるように、物語を結んでいる。
 「泥鰌の和助始末」に登場する松岡重兵衛は、若いころ平蔵が通っていた道場の指南の一人だったが、実は盗賊であり、一度だけ盗みの手伝いをしそうになったとき、松岡が、叱ってくれたというできごとがあった。その松岡が、久しぶりに、盗みの手伝いをするのだが、結果として、他の助っ人にだまされて、獲物をとられた上に、殺害されてしまう。優れた剣豪である割には、少々不自然なことだが、瀕死の状態の松岡のもとに平蔵がかけつけ、そこで息をひきとる。
 松岡が盗みに加わっているかもしれないというときに、平蔵と左馬之助の間で、捕らえるかどうかの論争がなされるが、平蔵は捕らえるといい、左馬之助はそれを非難することがあった。
 「高杉道場・三羽烏」では、平蔵、左馬之助とともに三羽烏といわれた長沼又兵衛は、いまや盗賊の首領となっている。そして、粂八の「鶴屋」で密談をしていた手下の話で、計画が平蔵に知らされ、高利貸しをして暴利をむさぼっていた僧侶を襲うことになっていた。その寺に一時的に泊り込んでいた平蔵が、又兵衛と合い交え、切腹せよ、そうしたら家名を傷つけないようにするというが、受け付けない又兵衛を切り捨てる。
 「乞食坊主」で、平蔵の昔の剣友井関録之助は、ふとしたことで盗賊二人の会話をきいてしまったために、盗賊がやとった刺客に狙われる。その刺客は、また平蔵の同門の菅野伊介だった。菅野は貧乏御家人の息子で、家が潰れ、結局殺し屋になっていた。そこでたまたま録之助の殺害を依頼されたのである。そこで、録之助は平蔵のところにやってきて、事情を説明し、菅野の助命を頼むのだった。平蔵はそれへの回答を与えないまま、井関に協力を求め、最終的に、会話をきいた盗賊たちの盗みの現場を抑え、逮捕にいたるが、これから、菅野と話をしにいこうという朝に、菅野自害の知らせがくるのである。
 小説では、ここでそのまま終るが、ドラマでは、井関が、自害の知らせをうけて、平蔵に、「あなたは、菅野が自害をするのを知っていたね」といって、そうしむけたかのように平蔵を非難する場面を創作している。この違いは、興味深い。
 そして、「霜夜」では、たまたま料亭のとなりで食事をしていた池田又四郎に、平蔵は気づくが、声をかけることなく、あとをつける。池田又四郎は、若いころ、平蔵が継母にいじめられ、跡継ぎのために養子をとるなどと継母が主張していたときに、それなら又四郎を養子としようと目論見、かつ継母の殺害を目論む、という過去があった。又四郎は、拒否し、交流が途絶えるのだが、やがて又四郎は江戸から出奔してしまう。平蔵がみたときの又四郎は、盗賊の仲間になっており、盗賊を裏切った女の殺害を命じられたのだが、女はかつての妻の妹であったために、殺害を躊躇していた。それで歩き回っていたし、また、仲間に催促されていたのである。事情をわからないままに帰宅した平蔵のところに、又四郎からの手紙が届けられており、事情を説明して、平蔵に助けをもとめていた。しかし、平蔵を会えなかったために、盗賊たちと闘う決意をしていたのだった。そして、日時と場所を指定していたので、そこにかけつけると、仲間の盗賊たちをうちとったが、自身も重傷をおっており、結局平蔵の下で死んでしまう。
 昔の親しい友人であった者が、盗賊となっていた武士たちの事例は、これだけだと思われる。そして、いずれも、彼らを死んでいるのである。平蔵自身が切り捨ててしまうのは、長沼又兵衛だけだし、いかにも、助命の意思があるかのように思われた菅野も、結局平蔵の意思を察したのか、自害してしまう。
 この意味を、いろいろと考えてしまう。
 やはり、武士である以上、悪事を働いてしまった者は、最終的には罪を償う必要がある。武士ではない町人の盗賊は、悔い改め、殺人などおかしていない場合には、密偵としてつかうことはあっても、それは武士にはあてはめることはできない。そういう意思を明瞭に表わしているとも考えられる。
 しかし、そうではないのかもしれないとも思えるのである。いずれの場合も、優れた剣客なのだから、密偵というより、左馬之助のような助っ人として活用することは、充分に可能である。そうする試みをあってもよいはずである。池波正太郎も、そういうことを考えたに違いない。
 だが、結局は、与力・同心も含めて、武士たるもの、死罪にあたるような悪事をなしたときには、情状の余地はないのだ、という「倫理観」を押し出したと考えるのが妥当だろう。それにしても、最近の自民党の「悪事」をまったく反省しない姿勢には、呆れてしまうのである。

オペラの筋を転換させる重唱 ― 2024年07月11日 19:03

 前に「美しいメロディー」をあげたが、その多くはオペラのアリアだった。西欧クラシック音楽の最も魅力的なメロディーはオペラにあるのは、オペラがしめている位置から当然のことなのだが、ただ、オペラの最大の魅力は、実はアリアではなく、重唱にある。名曲オペラの、音楽的に最も素晴らしい場面は、大抵アリアよりは、何人かがやりとりをする場面であることが多い。
 今回は、そうした音楽的な魅力にあふれた重唱の場面を選んでみた。その条件として、更に、その場面で大きく筋が転回すること、そして、それが主に歌の内容になって起きることという条件で考えてみた。
 歌以外の要素がはいって、筋が転回するというのは除いた。例えば、フィガロの結婚には、そうした場面が各幕ごとにある。一幕では、スザンナとケルビーノが話しているところに、伯爵がやってきて、みつかるとこまるケルビーノが大きなソファの後に隠れる。伯爵がうごくとそれにあわせてケルビーノが位置を変えるのだが、やがて見つかってしまう。伯爵はスザンナにいいよるところを見られてしまったので、ばつが悪いのだが、とにかくケルビーノを軍隊行きを命じる。二幕では、クローゼットに隠れていたケルビーノが、伯爵が鍵をとりにいったすきにスザンナといれかわり、ケルビーノは窓からとびおりてしまい、戻った伯爵の前にスザンナが現れるという、いずれも笑いを誘う場面があるのだが、(三幕にも四幕にもあるが省略)、この場合、椅子とクローゼットという道具がうまくつかわれていることで、筋が変化していく。
 ここでは、そういうのではなく、あくまでも歌詞の内容が事態を動かしていくような場面をとりあげる。つまり、それは音楽だけの力が状況を変化させていくのであって、それだけ音楽が魅力的なのだということなのだ。

 まず最初にヴェルディの「椿姫」の第二幕のビオレッタとジョルジョ・ジェルモンの二重唱をあげたい。
 高級娼婦のビオレッタとアルフレードが、パリの郊外で生活を始めているのだが、そこにアルフレードの父ジェルモンがたずねてくる。(そのときアルフレードは不在)ジェルモンは、あなたのような人が息子と一緒にいるので、娘の結婚がうまく進まない。だから息子とわかれてくれというわけだ。そして、どうせ息子のお金で生活しているのだろうと罵る。しかし、実際には、ビオレッタの資産で生活していることを示し、そこは納得するのだが、男は移り気なものだから、どうせ長続きもしないだろう、などと、聞くに堪えないことで、とにかく、一時的にはわかれると承知するビオレッタに、永久にだ、と追い打ちをかける。
 仕方なく、わかれることを約束せざるをえなくなり、最後には、かなしい思いで去った人がいることを忘れないでくれと懇願しておわる。そのあと、ビオレッタは、友人のパーティにでかけ、昔の生活に戻ってしまうが、そのあと、アルフレードがかえってきて、父親との対話になる。
 youtubeには、丁度この部分をきりとった映像があった。ネトレプコとハンプソンの二重唱だが、大道具がほとんどない簡単な舞台なので、それだけ動作などが大きなものになっている演出で話題になった。
https://www.youtube.com/watch?v=yg9GOdbVdWc
 次はビゼー作曲の「カルメン」。 二幕ホセとカルメンの二重唱の場面だ。流れの理解が必要なので、幕開きからの説明になるが、まず酒場でのにぎやかな雰囲気で、ジプシーの踊りがあり、そこに人気闘牛士エスカミリオがやってきて、有名な闘牛士の歌をうたう。そのあと、密輸団の五重唱があり、カルメンを誘うが、今恋をしているので加われないとことわる。カルメンが残ったところに、カルメンを逃がした罪で営倉にいれられていたホセがやってくる。カルメンはホセのためにカスタネット片手に踊るが、帰営ラッパがなるので還ろうとするホセを、そんな浅い恋だったのかと罵る。そして、うたわれるのがオペラ史上最高の愛の歌ともいうべき「花の歌」である。そして、帰ろうとした矢先、ホセの上官が現れて、ホセを帰れというので、逆にホセは拒否し、密輸団が現れて上官は押さえつけられて、ホセは密輸団に加わる、というのが、二幕の筋である。そして、二重唱は、ホセが現れてから、上官が現れるまでだが、そこで音楽が中断するわけではない。この場面は、なんといってもクライバー指揮のウィーンフィルが最高だ。「花の歌」の拍手がすさまじい。市販のビデオだとさすがに一部カットされているが、NHK放映のときは、もっとずっと長かった。youtubeには全幕ものがあったので、それをリンクさせておきたい。二重唱の直前の五重唱もぜひきいてほしいが、それは1時間2分半あたりからである。私は、なんどきいてもこの五重唱はおもしろいと思わなかったが、クライバーの演奏をきいて、始めて素晴らしいと感じた。丁度一時間少し経過したあたりから五重唱がはじます。
 2幕のみの映像があったのでこれもリンクをはっておく。

https://www.youtube.com/watch?v=5O77mnwdZ_U

https://www.youtube.com/watch?v=u_fh84Iqetc

 次はモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ 」二幕のフェランドとフィオルディリージの二重唱である。1950年くらいまでは、反道徳的な内容であるとして、あまり上演されなかったが、今では、人気オペラのひとつであるだけではなく、あらゆるオペラのなかの最高傑作であるという評価も少なくない。私もそう思っている。それは、史上最大の天才作曲家であったモーツァルトの、作曲技術が最高度に発揮されていると考えられるからである。内容は、ある意味たわいないものだが、他面では人間の心理をおそろしいまでに掘りさげ、それを音楽で表現してしまったともいえる。自分たちの愛は永遠だと信じているフェランドとグリエルモにたいして、恋心などすぐに変わってしまうものだという間に、その是非を確かめる賭が行われる。24時間以内に、恋人であるフィオルディリージとドラベラの心変わりをさせられるかどうかということだ。そして、軍人である二人は戦場にいったことにして、相手をチェンジしてせまるわけだ。最初はそうほうがとりあわないが、次第に心に変化がおきて、グリエルモにたいしてドラベラが陥落する。しかし、フィオルディリージは多少心が動きながら、グリエルモへの貞操をまもるために、軍服をきて戦場に行こうとする。そこに、フェランドがやってきて、刀を胸につきつけて、自分を殺してから行ってくれと懇願するなかで、ついに彼女も陥落するという場面である。音楽を聴けば、どんなやりとりがなされているかわかるだろう。
 このオペラは、もうひとり女中のデスピーナを含めて、6人の歌手がほとんど平等に扱われて、多様な組み合わせてで重唱を歌う。そして、最初は冗談っぽく振る舞っているのに、少しずつ気持に変化がおきてくる、その過程の描き方がとにかく巧みなのである。そういうところが、最高傑作ということの根拠になっている。
 以下の映像は、実は続き物で上の場面である。
https://www.youtube.com/watch?v=99I_dIGN1CMhttps://www.youtube.com/watch?v=bOaAwlqgobY

北海道旅行2 史跡 ― 2024年06月19日 20:39

今回は歴史的遺跡を中心に書くことにする。
 ただし、最初は途中のことで、八幡平の次の宿泊地である三沢のことだ。三沢では夕食を予約していなかったので、ホテルの人にスーパーマーケットを教えてもらって買い出しに。すると、とにかくものすごい爆音がひっきりなしに聞こえる。三沢基地の戦闘機の音だろう。通常の飛行機の音とは明かに違う。こんな音を日常的、かつ継続的に聞かされるとなると、本当にたいへんだと思う。道々妻と話すが、爆音のときには、全く自分の話し声すら聞こえない。しかし、更に驚いたことに、ホテルに帰って部屋に入ると、まったく聞こえないのだ。ここまで防音設備の性能がいいのかとびっくりした。最近騒音訴訟をあまりきかないのは、防音設備の深化が、騒音被害を緩和しているからなのだろうか。だが、外を歩いている限りでは、絶えがたいほどの爆音だったことは間違いない。
 翌日、六ヶ所村を通って、本州の北端である大間までいき、そこからフェリーで函館に渡った。六ヶ所村は、ああこういうところに核施設をつくるのだと、かなり陰鬱な気持になったのが率直なところだ。

 さて、函館で歴史的遺跡として有名なのは、もちろん五稜郭だ。ほぼ全体が保存・再建されていて、このような城郭は日本では例がないと思う。日本の江戸時代の城は、当時のものが残っているとしても、城全体ではなく、天守閣と石垣を含んだ敷地であるのがほとんどで、多くは敷地自体が一分であり、また、多くの城は再建されたものである。再建されたものとして、当時の設計図にしたがって再建されているものは、やはり、当時のことがよくわかって、見応えがある。五稜郭でいうと、奉行の役宅が非常に丁寧に再建されていて、参考になった。いくつか武士の原寸大の人間がおかれたりしていて、他にはあまり見ないものだ。函館の観光の象徴なので、力のいれようを感じた。


 次は網走刑務所だ。歴史的遺産として観光用に公開されているのは、実際の網走刑務所であったものを移築したものだが、ほぼ全体を移築したものなので、見応えがあった。
 ただ、私の歴史的知識の不充分さから、網走刑務所の成り立ちについては、まったく知らなかった。ここにきて、さまざまな説明やビデオをみて知った。
 つまり、明治政府が北海道開発を進めるためには、どうしても道路を建設する必要があり、極寒の地方で道路建設するために、囚人たちを集めて工事させることを計画し、まず、囚人たちを収容する刑務所を、囚人たちにつくらせ、そして、刑務所を基地として、200キロにわたる道路を突貫工事で建設したというのだ。多くの囚人と少なくない監視員たちが命を落としたという。同時の常識では考えられない過酷な工事で、短期間にできあがったという。
 もちろん、道路建設が一段落したあとも、刑務所は残ったわけだが、自給自足的な運営がなされ、囚人たちが農業で食料生産を行い、自分たちの食べ物は当然として、農産物を売ることによって収益をあげ、刑務所の運営費にしたそうだ。それは今でも続いているような説明があった。
 網走刑務所の説明の一節に、網走市と刑務所は切っても切れない関係にあり、相互に尊重しあっている、との表現があったのには正直驚いた。刑務所が市のなかに、重要な位置付けをされているということだ。刑務所はほとんどの地域で迷惑施設として認識されていると思うが、網走は違うらしい。
 私自身は、囚人を通常の労働に従事させることは意味があると思う。刑務所での作業は、市民生活のなかで不可欠な製品をつくるというよりは、どちらかというと趣味的なものが多いように思うが、そんな技術を身につけても社会にでてから、あまり役に立たないのではないだろうか。刑務所の外にでて仕事をすることによって、実際の仕事の技術を身につけることができる。現在は、逃亡を防ぐ器具は整備されているのだから、脱走する危険性もほとんどないのではなかろうか。人手不足を補う意味もある。特に農業に携わる人が少ないのだから、農作業などは、囚人へ割りあてることで、農業界も助かるのではないかと思うのだが。

 次にアイヌの遺品が集められ、住宅などが移設されている二風谷コタンを訪れた。萱野茂というアイヌ出身の人(最終的には参議院議員になって、アイヌ保護の政策を進めた)が集めたアイヌの道具などを展示したふたつの記念館を中心しとて、住居などがあちこちに立てられている地域である。


 さて、アイヌの生活がほぼそのまま継続していることはほとんどないと思われる。国籍としては日本人であり、日本の学校に通学して育つわけだから、当然、倭人に同化しているといえる。そのなかで、アイヌ文化の保存運動があるわけだが、これらの施設をみただけでは、保存運動がどのようなものなのか、判然としなかった。
 アイヌは文字をもたない民族で、そのため口承文学の形でさまざまな伝承が残っている。そして、これまでは語り部を育て、彼らが伝えてきた。しかし、語り部は次第に少なくなっており、このまま推移すれば、アイヌの口承文学は消滅してしまう。ではどうやって遺すのか。語り部を育てることと、現在の表音文字を使って、文字化して遺すという二つの方法がある。後者はこれまで何人かのひとたちによってまとめられているし、語り部の育成にも取り組んでいるという。
 では、アイヌ語の保存ということはどうなのか。世界的には、消滅してしまった少数言語は多数ある。日本語のなかの方言なども、長い目でみれば、今後消滅していくものが少なくないと思われる。言語が分化していることは、相互のコミュニケーションが取りにくいわけだから、共通語が存在することが望ましい。旧約聖書のバベルの塔の話は、この逆のことを示している。だから、少数の者にしか通じない言語を、特別な方法で、つまり、コストをかけて保存する意味はあるのだろうか、という疑問は当然ある。言語はコミュニケーション手段に過ぎない、そして、文学などもその基礎の上に成立するのだ、と考えれば、共通の言語を皆が母語として習得すれば、コミュニケーション上最も効率的であり、合理的である。しかし、少数民族が議論されるときには、ほとんどの場合、彼らの言語を保護することが重要であるといわれる。おそらく、現在アイヌ語しか話せない人は、ほとんどいないと思われる。そして、今後ますますアイヌ語を話せる人は少なくなっていくだろう。ほとんどの日本に住むアイヌは、日本の学校に通って、日常語としても日本語を使用している。おそらく彼らの多くは、日本語で文学に親しんでいるに違いない。アイヌの口承文学も日本語に翻訳されたものを読むだろう。何もしなければ、アイヌ語は消滅していく。だからこそ保存が主張されるわけである。
 言語は日常的に使用されなければ、特別な場合以外は消滅していく。特別な場合とは、ラテン語や古代ギリシャ語、日本では古語のように、古い言語での文学、哲学などの作品が高く評価され、現在でも原典で読むことに意味を見出されている場合である。これらは、古代文明として高度に発達した地域での現象である。そうした古代言語は、それぞれの国で古典として学校教育で教えられる。
 アイヌ語も地域での講座として教えることが保存方法としては考えられる。あるいは、ネットによる学習テキストがネットに掲載されることで、世界に学習機会が開かれることもありうる。あるいは、アイヌ語によるyoutubeやラジオ放送などがさかんになれば、世界でアイヌ語を学ぶ人が出てくるかも知れない。しかし、日本の学校で教育言語になることはないだろうし、国際的に広まるかどうかは、アイヌ語による文化の魅力によるだろう。残念ながら、私にはその判断はできない。

北海道旅行 ― 2024年06月10日 21:17

 5月末から6月始めにかけて、10日ほど北海道旅行にいっていた。もっとも、通常であれば飛行機で札幌あたりに飛び、レンタカーで北海道を廻るということだろうが、車ですべての行程をこなした。妻には「変だ」とか「無駄だ」とかいう声があったらしいが、私は、そういうことを誰にもいわなかったので、いつもと変わらず、長距離ドライブ旅行をしてきた感じだ。一番遠くは知床半島だった。
 通常の旅行記を書くのは、不得手なので、特に感じたことを、いくつか書いておきたい。

 最初の宿泊地は岩手県の八幡平で、夕方到着したので、当日はホテルで夕食をたべて、休み、翌日短いが観光をした。八幡平というところは、明治から昭和の半ばころまで、硫黄の採掘で栄えたところで、たいへん高いところにあるが、新しく学校がつくられたり、文化会館ができて、有名なタレントが公演にきていたそうだ。そうしたなかで、私がえっと思ったのは、バイオリニストの諏訪根自子が演奏したことがあったそうで、その写真もあった。諏訪根自子といっても知らない人が多いに違いないが、戦前ドイツにわたって天才を認められ、ゲッベルスからストラディバリウスを与えられたというほどだ。そのためか戦後は多少不遇だった感じがあるが、一度テレビで演奏会のビデオを見たことがあって、その鮮烈な演奏はいまでもよく憶えている。


 現在では硫黄産業は完全に消失しており、学校なども閉鎖されていたが、硫黄のために周囲の森林がすっかりやられてしまったのだが、その後森林回復のための事業が取り組まれ、いまでは山を豊かな森林が覆っている。

 そして、実はこの旅行中に、もうひとつの硫黄の産地だったところを見た。それは、北海道の東部、弟子屈町の硫黄山だ。摩周湖の側にあり、摩周湖にいって、それから硫黄山にいったのだが、ここは、いまでも硫黄がむき出しになっているような感じで、水蒸気が絶えずでており、しかも、その近くまでいくことができる。近くは有名な温泉観光地だ。

 このふたつの硫黄の産地をみて、日本という社会は、学校で資源の乏しい国と習うが、実はそれは間違いだということを改めて感じる。日本は資源が極めて豊かな国なのだが、それなりに長い歴史のなかで、取り尽くしてしまったために、現在では、とくに鉱山資源が乏しいとされているにすぎないのだ。銅は、長い歴史があり、かつ昭和まで採掘されていたし、銀や金は江戸時代まで世界経済に影響を与えるほど、たくさんとれた。金は、オランダとの不利な貿易と、幕末の賠償(たとえば生麦事件)、開国後の赤字貿易で大量に流出してしまったのは、いかにも、まずかったわけだ。石炭も夕張炭坑がとじるまで、日本の花形産業だったのだ。日本は、災害だけではなく、鉱山資源も豊富な国であることは、歴史をみればすぐにわかる。要は取り尽くしてしまったことだ。
 今でも世界的にみても、豊かな自然資源が現存している。それは水と森林である。しかし、水は、多量の雨があるにもかかわらず、川が急流であるために、有効に活用されていないといわれている。また、森林はとくに西日本では戦国時代に伐採しつくされ、多くがはげ山になったそうだが、江戸時代の平和のなかで、よみがえった。しかし、現在たしかに日本は森林が豊だが、手入れが不充分で今後どうなるかわからない。資源は、適切な対策が必要なのだとも感じる旅だった。今回のように、車で長距離移動すると、日本の産地は、本当に豊かな森林にめぐまれていると感じる。水と森林は循環型、再生可能な資源なので、適切な対策をすれば枯渇することはないが、しかし、水と森林を守る人々の意思が必要だろう。

途上国からの脱出3 ― 2024年05月24日 21:21

.途上国からの脱出3
 入学試験があるのは当然だという思い込みともうひとつ思い込みは、学校の単線型体系が民主主義的であり、複線型体系は非民主主義的であるというものだった。これは、いまでもそのように考えている民主主義者が多い。特に日本では1960年代に高校の多様化路線が打ち出されて、職業高校を多くつくり、早めに就職させる、大学などに進学するのは無駄だという特に財界の意志が、教育に反映したものだ。しかし、明かに、成績のよい者が普通科に進学し、成績の悪い者が職業科に進むという、大体においてそうした傾向があったことと、その後社会が高度化して、大学卒業生が就職の基礎資格のようになると、大学進学に有利な普通高校をほとんどの中学生が求めるようになって、現在では圧倒的に普通科の高校が多くなっている。こうした中で、普通高校と職業高校を格差をもって構成すること、そして、それ以外の高専など、学校体系を複線型にすることが、民主主義的でないと考える人が多いわけである。しかし、それは本当にそうなのだろうか、と考えなおすようになったのは、1990年代の初頭に、オランダに海外研修にいったことだった。当時、ドイツとオランダは、中等教育から資格の異なる学校に分岐していた。ただ違っていたのは、ドイツではほぼ成績で振り分けられ、あとで修正するバイパスがあまり機能していなかったのに対して、オランダでは、基本的にどの学校種に進学するかは当人と親の決めることであり、かつ、進学後変更することもできるし(ただしその場合には成績がよくなければ難しい)、卒業後、ワンランク上の学校に編入できることになっていた。だから、小学校時代は勉強が嫌いだったから、職業コース(中等専門学校)に進んだが、途中で勉強が好きになったから、大学に進学できる高校に編入して、大学に進学したという学生が少なくなかった。そして、海外研修の翌年に学生引率の形で、オランダの職業高校に見学にいったのだが、そこは園芸科で、園芸の全国コンクールに出品して、専門農家と競い合っており、しかも、ビニールハウスは完全なコンピューター管理になっていて、花を年間通じて栽培する方法を学んでいた。教師たちが非常に熱心だったので、小学校の成績はそれほどよくない生徒たちだったが、誇りをもって勉強しており、将来に対する希望も大いにもっていそうだった。因みに、オランダは九州と同じくらいの面積の国家だが、農産物の輸出額において、世界二、三位を保持している。こうした高校からの希望による専門的な教育が基礎にあることは間違いないだろう。

 それに対して、ドイツの最も水準が低いとされるハウプト・シューレを訪問したことがあるが、そこでは、生徒たちは、私たちとすれ違うとしたを向き、授業でも活気がなかった。やはり、ハウプトシューレの生徒は劣等感が強いというのは、本当なのだと思った。 この二つの国の似たようなシステムでありながら、現れ方の違いは、やはりドイツでは成績で振り分けられ、オランダでは希望で進学するという点だろう。オランダでは、最もレベルの高い高校にいった場合、かなりハードな学習が行われ、二年連続で落第すると退学になるので、けっして無理して進学はしないのも、格差による差別感があまりないことに影響しているように思われる。
 こうしたシステムだから、オランダでは、同種の高校、そして大学において,学校の一流、二流という感覚がほとんどなく、**の強い大学などという意識による区別感があるようだった。だから一分の人気大学に志望者が集まって、大幅な選抜が必要になることもないようだった。(ただし、学科に志望する場合、複数の志望を書くということだ。)

 学校で学ぶことによる効果が最も高いのは、学校で学びたいことを学ぶことができ、そして、それが自分の将来を切り開くことになるという状況が保障されることだろう。日本のように、「学力」それも「偏差値」で入学が決まるようでは、学習意欲は競争にあり、学習そのものにはない。ここに日本の教育の最大の問題があり、いわゆる「追い付き追い越せ」社会であれば有効性もあるが、その段階を終えた社会では、各人の学習意欲を最大限引きだすシステムでなければならないことは、明かなのである。そう考えれば、学校での学習をしっかりやることによって、上級に進学できる方式のほうが、明かに、個々人の学習意欲を高めることになるだろう。
 次回は、学校単位で、こうした考えに基づいたやり方を徹底的に行っているサドベリバレイ校の実践を紹介しよう。

途上国からの脱出2 ― 2024年05月17日 21:33

 前回、教育の分野では、とにかく入試を廃止と提起した。
 いや入試こそ、能力主義が実施されていて、入試をやめたら、青年は勉強しなくなるし、競争もおこなわれず、能力が評価されなくなるのではないか、という疑問が生じるかも知れない。
 しかし、入試こそ、若者を勉強嫌いにするものであり、かつ能力を正当に評価しているものでもないのである。入試競争を梃子にして、子どもたちを勉強に駆り立ててきたのが、日本の教育の特徴であるが、現在は大学ですら、とくに選ばなければ必ず入れる大学全入の時代になっている。だから、一部の超難関大学以外は、それほど勉強しなくても入学できる時代である。だから、私が大学に勤めていたときにも、高校時代とにかく勉強に明け暮れた、などという学生はほとんどいなかった。むしろ高校生活を謳歌していた者が多い。だから、大学にはいっても勉強しない学生はいるが、逆に、大学にはいって、好きな勉強分野を見つけると、一生懸命勉強し、その面白さに気付く者も少なくないのである。
 入試は、学力偏差値を争うもので、極めて狭い「能力(学力)」の有無を見るのが基本である。しかし、人の能力は、学力以外にも実に多様である。そして、人は自分の気に入った分野の能力を伸ばしたいと思うときには、苦労もいとわず努力ができるのである。大谷翔平や藤井聡太、HIMARIなど、日本の若いひとたちから、とてつもない天才が育っているが、彼らはいずれも学校秀才として、学力で勝負しているわけではない。むしろ、それに縛られずに自分のやりたいことを徹底してできる環境があり、そこで、よけいな受験圧力を受けることなく、自由に羽ばたくことができたひとたちである。
 だから、やはり、日本の人材が、最大限活用される社会にするためには、入試のように、狭い能力の獲得のために、大多数の若者を駆り立てるような社会システムは廃止するのがいいのである。いや、廃止しなければならない。

 私が入試廃止論を聞いたのは、大学の「教育法」の授業を非常勤講師として担当していた兼子仁先生からだった。私はめずらしく、兼子先生の授業はほぼ出席したのだが、その講義の終りのほうに、日本の教育にとってぜひ必要なこと、それはできるだけ早く入試制度を廃止することです、と語ったのである。既に半世紀も前のことで、それから受験競争はどんどん厳しくなっていったのだから、当時、まさかそんなことが可能だとは考えられもしなかったのである。しかし、大学の教師になって、第一次大戦のヨーロッパの学校制度改革の次に、戦後、特にオランダの学校制度を研究するようになって、日本の入試制度が、いかに特殊なものであるかを知ったことがきっかけになって、本気で入試制度そのものの廃止を考えるようになった。これまで何度も書いたことだが、日本の入試制度は、欧米の進学制度と比べて、大きく異なっている。
 欧米のほとんどの進学制度は、在籍した学校での成績が基本であり、進学したい先の上級学校による学力試験が課されるところは、ほとんどないといってよい。しかし、日本では、入試とは、かならず進学する上級学校が選抜試験をおこなうものである。これが学習にあたえる影響は極めて大きい。欧米のようなシステムだと、学校の勉強をしっかりやって、よい成績をとれば、上級学校に行けるのに対して、日本では、むしろ学校の勉強はほどほどにして、自分の入試科目の勉強、しかも出願校の出題傾向にそった勉強をしなければならず、それは学校での学習とは離れていることが少なくない。中学受験の勉強などは、その典型である。難しい中学を受験する子どもは、学校の勉強はおろそかにして、宿題などやらない者もいるのである。そして、親から無理に受験を強いられ、思ったように成績が伸びない子どもが、教室の問題児になっていることも珍しくないのである。
 もし、日本も上級学校による選抜試験を廃止して、学校での成績を主に判断される進学制度に切り換えれば、子どもたちは、しっかりと学校での勉強に取り組むようになるはずである。そうすれば、教師も教えがいがでてくるし、相乗効果で意欲的な若者が育っていくに違いない。

 しかし、そんなことをしたら、必ず一部人気大学、高校に集中するだろう、そうしたら収拾がつかなくなる、という反論が出てくるに違いない。
 まず、現在でも、かつての難関校も、それほど魅力をもち、多くの受験生が詰めかけている状況ではなく、入れるならそこでなくてもいい、という気持の高校生も多くなっているのである。そして、そうした平均化を促進することも大切なのである。欧米の国立・公立大学は、それほどの格差はなく、トップ校といわれる私立の大学は、一部である。しかし、ハーバードでも、日本のような入試があるわけではない。学校が、ピラミッド型の一流、二、三流などにわかれているよりは、そうした上下よりは、強い領域などで個性を出しているほうが、国全体としての教育効果は高いのである。そして、どうしても偏ってしまう場合の対処はいくつかある。
 ひとつは、領域で選択させ、第三志望くらいまでを提出させて、希望が多い場合には、なんらかの選考をする。たとえば、地域の考慮等。
 あるいは、大学進学の資格試験を実施し、(現在の共通テストをそうする)進学最低規準を設定するとともに、大学として、自分の学科に進学するためには、これこれの科目を何点以上とること、というような条件を設定することを可能にする。その場合でも、複数の希望を条件にすることで、特定大学に集中して、定員の何倍をも受け入れざるをえないということは回避できるだろう。
 そんな複数志望制などにしたら、東京都の群制度の失敗を繰り返すという危惧があるかも知れないが、私立大学も、そうした一環に組み入れることで、その危惧はなくなる。東京都は、都立高校だけでそうしたから、私立高校に地位を奪われてしまったのである。
 日本の学校教育の最も大きな問題は、学校の勉強をすることで、勉強好きになるような子どもが極めて少ない、ほとんどいないということなのだ。しかし、教師がいくら努力しても、小学校時代から、既に受験の浪が押し寄せているのだから、教師の努力によって克服できる状況ではないのである。制度を変えねばならない。(つづく)