途上国からの脱出1 ― 2024年05月11日 16:46

 先進国を脱落して、途上国なみになってしまった日本は、どうやったら脱却できるのか。最も、世界帝国から脱落して、かつてのような影響力をもてなくなったイギリスのように、老熟した国家として生きていくという手もあるかも知れない。しかし、やはり、それなりの力がなければ、成熟した状態を保つことも難しくなっていくに違いない。
 私が考えることの基本は、「能力主義」を社会のなかに貫徹していくことだと思っている。尤も能力主義などというと、私のような教育学者の間では、驚かれるに違いない。というより、反発されるだろう。というのは、リベラルな教育学では、能力主義こそ、日本の教育を息苦しく、子どもたちを圧迫してきた元凶であると理解されてきたからである。
 私自身、団塊の世代だから、日本の歴史のなかで空前の受験戦争にあった世代である。なにしろ同世代人口が極めて多く、まだ大学進学率などは低かった時代だが、それだけ大学の数も少なく、苛烈な競争があったわけだ。そして、そうした競争を強いることで、人材育成しようとしたのが当時の政策だった。そのなかで、競争主義=能力主義と解釈され、能力主義は否定の対象となってきた。

 確かに、学校教育のなかでは、競争が、特定の能力の競い合いがあり、その能力の高低で、進学が決まっていくシステムになっていた。いまや大学全入時代だから、大分様変わりしているが、それでも中学受験などは、そうした面が残っている。
 
 しかし、この能力競争は、極めて狭い「能力」が対象であり、人間のもつ幅広い能力が、それぞれの個性に応じて尊重されていたわけではない。かつて高校の知名度をあげ、多くの受験生を獲得するためには、東大合格者を増やすか、甲子園に出場することだ、といわれていた時期がある。いまは、その要素がもう少し多くなっているが、基本構造は変わらない。人間のもつ多様な能力を多様に伸ばすという教育にはなっていないのである。
 そして、それでも、能力による競争があり、能力を伸ばすことで結果をだせる部分が、学校教育には歪んだ形ではあれ、存在するが、社会にでると、多くの領域で、能力はかならずしも尊重されていない。あるいは、本来求められるはずの能力よりは、もっと異なる、生産的とはいいがたい力が人生を左右するような面がめだつ。そして、能力などは、ほとんど考慮されていないのではないかと思われるのが、日本を動かしている政治家の世界である。世襲議員が国会の有力議員を占めるようになって、おそらく30年くらいはたつ。私が若かったころは、首相や有力大臣は、世襲議員はほとんどいなかったように思う。それは、戦争によって、有能な人材が失われたことも影響しただろう。評価はさておき、有力政治家であったといえる吉田茂、岸信介、佐藤栄作、池田隼人、田中角栄、中曽根康弘などは、世襲議員ではなく、彼らの子ども世代、孫世代が世襲議員になっていったのである。そして、第一世代の政治家たちは、孫世代とは、なんと政治家としての力量に違いがあることだろう。
 世襲が重要な要素となっていることは、即ち能力は二の次だということに他ならない。つまり、最も高い能力をもったひとたちでなければならない政治家たちが、能力を問題にされず、血筋で地位をえていくという、極めて歪んだ状況になっている。
 政治家の世襲制の弊害をなくす方法は、理屈上は明確であり、難しくない。小選挙区制を前提にすれば、親・親族の選挙区での立候補を禁ず場よい。英吉利ではそうなっていると聞いている。つまり、まったく新しく選挙民の支持をえていく必要があり、そこで政治家としての力量が試されるということだ。まったく別の方法としては、完全な比例代表制を導入することだ。これは個人の選択ではないので、政策を争うことになり、選挙区そのものが存在しないので、世襲制の意味はほとんどなくなる。
 ただし、制度の変更は現在の政治家が決めることであり、現在の政治家は世襲議員が権力の多くを握っているから、自らの利益をなくすような変更をすることは、かなり困難であることは間違いない。やはり、社会全体が、能力主義を軸とした人材活用になっていくことが必要なのだろう。

 では教育の世界で、歪んだ能力主義ではなく、個々人の能力を最大限に伸ばすような体制には、どのような変革が必要なのだろうか。
 考えていけば、いくらでもあるが、ここでは一つだけあげておきたい。
 それは「入学試験制度の廃止」である。後藤道夫他編『競争の教育から共同の教育へ』(青木書店)は、競争の教育の克服をめざした本であるが、私にとってとても納得のできないことは、入学試験について、まったく触れていないことである。日本の教育の大きな問題が、競争主義によって、発達が歪められていることにあることは、自明であり、同意できるが、そうした競争主義を現実のものとして機能させる、最も大きなシステムである入学試験を問題にせずに、単に理念的に共同の教育を押し出しても、ほとんど抽象論にすぎない。入学試験制度は、改善が何度も測られてきたが、その都度、かえって競争を激化させてきた歴史がある。現在、大学入試は、かつてほど激烈ではないが、それは制度の改善によってではなく、少子化によってもたらされたものである。逆に政策側は、競争システムの維持・強化にやっきになっているといえるのである。
 だから、現在のような入試制度は廃止しなければならないし、少子化が進行している現在は、その実現性があるといえるのである。では、どのようなシステムにしていけばよいのか。それを中心に次回述べたい。

日本が先進国でなくなった実感 ― 2024年05月01日 21:36

 日本は、確かに先進国といえる国だったと思う。単に経済規模だけではなく、その製品の品質に対する信頼、国際的な行事などを確実に運営する組織能力、交通マナーや災害時の対応など、誇っていいことが確かにあった。しかし、それらのほとんどが、今崩れかかっているように感じるのは、私だけではないだろう。
 たとえば、災害時に、途上国などは、略奪などが頻繁におきている。しかし、日本では、これまでそうした「火事場泥棒」的な行為は、ほとんどないとされ、国際的にも称賛されてきた。しかし、今年の元旦におきた能登半島の地震のその後をみると、これが先進国かと思われるような事態となっている。
 既に4カ月が経過しているのに、ほとんど放置されている地域が少なくないという。大手メディアはあまり報道しないが、youtubeなどでは、そうした状況が多数報告されている。そして、今日youtube(一月万冊)でいっていたのだが、詐欺がかなり横行しているというのである。いまだに下水道の復旧は遅々としているのだが、それを悪用して、実際に工事などやらないのに、前金という形で集金したり、工事をやっても形ばかりで、実際の技術をもっていないような人たちがいいかげんな作業でごまかし、かえって迷惑な結果になっていることが、少なくないというのである。そして、今後、下水道の工事が始まる関西万博が職人たちを大量に集めるだろうから、能登の被災地の復旧は本当に暗い状況だというのである。
 そして、避難所のことも大分話題になった。今や、少なくとも先進国においては、災害による避難者のプライバシーが守られるような体制が、避難所でとられるのが常識になっているが、能登の避難所は、あいかわらずのごろ寝状態が多いという。
 台湾でも大きな地震があったが、その対策をテレビでみたが、完全に日本は立ち遅れていることを確認させられた思いである。
 復興の経済力も十分でないし、犯罪も見逃せないほどだという。

 次に感じるのが、関西万博の醜態である。おそらく、このままいけば来年開催されるのだろうが、世界に対して恥をさらすことになるだろう。これほど馬鹿げた催しは、おそらく戦後日本の歴史のなかで、はじめてのことだろう。もともと、万博が目的ではなく、カジノ建設のための手段として計画されたのだから、うまくいっていないのも当然なのかもしれないが、しかし、このような無惨な状況になっている日本主催の行事はなかったことは確実だ。
 当初の予定されたが、実現しない部分がかなりでてきていること。本格的なパビリオンは当初の3分の2になること(それも現在の希望的見方であるが)、予算が当初と比較にならないほど、膨らんでいること、そして、予定された建物ができない部分に空きスペースができ、おそらく、まともな活用がなされないこと、交通機関があまり整備されない状況となるはずなので、観客たちがかなり歩かねばならないこと(だいだい夏場が中心の開催だから、熱中症で倒れる人がかなり出るに違いない。)、きちんとした水洗トイレが完備されそうにないこと、そして、最も危惧されるのは、メタンガスが爆発する危険性があること、等々。他にもいくつかあるに違いない。そして、驚くべきことに、運営の責任にあたる人たちが、情報をださず、こうした不都合が、さまざまなひとたちの告発によって知られるようになり、どうしても否定できない状況になってしぶしぶ認めるような、隠蔽体質をもっており、それがますます事態を悪化させていることである。
 東京オリンピックもかなり問題があったが、それでも、コロナなどの流行に見舞われたが、なんとか競技は終えることができた。そして、必要な建物ができていないというようなこともなかった。
 しかし、関西万博は、開催日がきても、確実に工事が終了せずに行われているに違いない。そして、これだけ悪い評判が拡散しているから、運営費を賄うことになるはずの入場者は、かなり少なくなるだろう。私は、近所に住んでいたとしても、絶対に行かない。
 東京オリンピックは汚職にまみれていて、事後に逮捕者が続出したが、関西万博も、検索が機能すれば、そうなることは間違いない。

 そして、政治の腐敗である。あれだけの裏金問題がおきたにもかかわらず、政治家はほとんど刑事責任を問われていない。政治資金規正法や税法に違犯している、列記とした犯罪であるにもかかわらずである。

 先進国である条件として、民主主義であることは最も重要であるように思われる。そして、民主主義であることの重要な要素として、政治の透明性がある。残念ながら、政治的透明性の国際比較において、日本は、かなり順位が低い。そして、そういう事態は安部内閣以降特に顕著になった。その典型は、嘘にまみれた原発安全神話である。これまで何度か書いたが、福島原発の危険性は、既にずっと以前から指摘されていたのであるが、第一次安部内閣のときに、共産党によって、大地震が起きたとき、電源が失われる危険性が指摘され、改善が必要ではないかと質問されたのに対して、当時の安倍晋三主張が、その必要はないと突っぱねたのである。このとき、安部内閣が真摯に事実に向き合い、改善策をとっていれば、あの福島原発事故は防げた可能性があった。それを不可能にしたのは、政治家や経済界の無責任体制であり、政治の隠蔽体質だったのである。
 もうひとつ、現在進行形のことをあげれば、リニア新幹線である。リニア新幹線に待ったをかけていたのは川勝前静岡県知事であり、そのことによって、川勝氏は大いに批難されており、失脚の背景になっていたと考えられる。しかし、川勝氏が指摘していた水問題だけではない環境破壊問題は、決して静岡県だけのことではなく、他県でも多々存在しており、住民たちは苦しめられているのである。実際に、工事が進められている地域の周辺では、住民たちの生活が理不尽に規制されている声を聞いている。しかし、メディアはそれを取り上げているようには思われない。
 さらに、リニア新幹線の問題は、収益性にもある。最近、採算がとれないに違いないという指摘が専門家からなされているが、常識的に赤字になることは十分に予想される。専門家でなくてもわかる。東京大阪間は、現在空路と新幹線、そして東名・名神高速道路が既に存在している。そこにリニア新幹線が割り込むわけである。日本は人口減少社会であるから、いくらこの東京大阪間の移動者が多くても、全体としては減少していく。しかも、ビジネス上の移動は、ネットワークの発展によって、不要になる部分が増大するはずである。会議は、まるで「どこでもドア」が実現するようなもので、移動が不要になるのである。そもそも、ほとんどがトンネルである移動手段を利用する人は、どういう人だろうか。それは仕事でどうしても速く移動しなければならない人だろう。しかし、そういうひとこそ、指導しないで仕事が可能になれば、利用しなくなる。そして、観光客は、一度は利用するかもしれないが、リピーターにはならないだろう。
 中国の高速鉄道網がほとんどが赤字路線になっていて、国家的重荷になっているという記事があったが、リニア新幹線もそれに近いものになることは、ほぼ間違いないように思われる。先進的技術と考えていたものが、実は社会的発展とは相いれないものになっていることが、わかっているのに、既に引き返すことができない状況になっているといえる。成田新幹線という鉄道が、着工されたが途中で頓挫し、すっかり工事された部分も跡形なく消滅していることを知っているひとは少ないに違いない。

 こうなってしまった要因として、考えられること、そして、打開策を私の考えられる範囲で次回書いてみる。

小池百合子氏の学歴詐称問題を考える ― 2024年04月24日 21:01

 小池氏の学歴詐称問題は、ずっと以前から言われており、さまざまな専門家が、小池氏が詐称していることを論じているが、小池氏は、これまで、巧みに、というよりは図太くかわしてきた。特に大きく問題になったのは4年前の都知事選前に、『女帝』(石井妙子著)が現われたことである。これは大ベストセラーになり、さすがに小池氏も追い詰められたとみられていたが、在日エジプト大使館のホームページ(フェイスブック)に、カイロ大学の見解がアップされて、一挙に追求が下火になった。当時、このカイロ大学の声明を読んで、どうも変だと思った人は少なくないに違いない。私もその一人だ。『女帝』は、後で述べるように、この問題について決定的な情報を示していた。だからこそ、小池氏もかなり動揺したのだろう。側近の小島氏に「こまっている」として、相談をもちかけたわけである。そして、そこからの経緯について、『文藝春秋』によって暴露されたのが、現在の「盛り上がり」の原因となっている。そして、あのカイロ大学声明は、小池氏が、側近に作成させたのだ(つまり捏造)、というのが、小島氏の暴露の中心点である。たしかに、カイロ大学があのような声明文を、大使館のフェンスブックにのせるというのは不自然であるし、それよりも、後半にあった、小池氏が学歴詐称しているというような意見を公表することは、名誉毀損であるので、法的措置をとる、という文章に、大きな違和感をもったものだ。また、この文章によって、メディアの追求が下火になったわけである。この法的措置の脅し的文章がなければ、あそこまで一気に追求がなくなることはなかっただろう。今から考えれば、鎮静化させるためもっとも効果的に狙った文章を挿入したのは、それを望んだ人が作成したことを裏付けると解釈できるわけである。
 
 さて、今回考えたいのは、「証明」問題である。事情をよく知る人は、欧米や日本では、大学卒業について、当該大学に問い合わせれば正確な情報がえられるが、エジプトなどの途上国では、お金を出せば、卒業詔書などは、卒業実績がなくても、簡単に発行されるという。大学が正式にださなくても、そういう業者がいて、小池氏が示す卒業詔書や卒業証明書もそうした類のものだろうという。また、小池氏は父親からの縁もあるし、また小池氏が政治家になって築いてきたエジプトとの関係で、政府や大学が、たとえば外交ルートで問い合わせても、小池氏は卒業生であるという回答をするだろうという。そうだということを前提に考えてみよう。
 そうすれば、いかに小池氏がカイロ大学を卒業していなかったとしても、大学や政府に問い合わせたとしても、卒業したという「回答」が必ずかえってくるとすれば、「正式に問い合わせれば、簡単にわかるではないか」という詐称派の思いは実現しないわけである。
 私自身は、これまでのたくさんの関連文書を読んだが、小池氏がカイロ大学を卒業していないことは明らかだと思っている。しかし、それが大学当局によって、逆の証明がされてしまうことを考えれば、「卒業」ということの意味を確認することが必要なのだと思うのである。
 通常の日本人が「卒業」と考えるのは、その大学に通学して、授業をうけ、試験に合格して、必要な単位を修得して、卒業詔書をその時点で得ることだろう。いくら、卒業詔書があったとしても、(それもかなり内容的にあやしいものだそうだが)授業をうけ、試験に合格するほどの力を獲得していなければ、卒業したとは認められない。しかも、「首席」というのだから尚更である。
 しかし、当時の小池氏は、授業にはあまり出ていないようであるし、進級試験に落第したことは、同居人の記述によって疑いない。また、試験に合格するほどの実力であれば、アラビア語を駆使できるはずであるが、アラビア語に通じているひとたちの多くが、小池氏のアラビア語は幼児段階のレベルだという。また、卒論は書かなかったと小池氏は延べているが、当時も今も社会学科では、卒論は必修だという。
 そして、同居人氏のいうところでは、進級試験に落ちたその年に、日本に帰国し、再度エジプトにやってきたときに、日本では、カイロ大学を卒業した日本人の女性第一号だと公言し、それが新聞記事にもなっており、その記事を同居人に見せたという。進級すらできなかった人が、その年度内に卒業できるはずがないのである。
 このように考えれば、小池氏が、実際にカイロ大学を卒業していないし、また、ほとんど通学もしておらず、カイロ大学で身につけた学力はほぼないに等しいことは明らかであろう。(つづく)

教員処遇改善50年ぶり? ― 2024年04月15日 21:49

 ヤフーニュースに共同通信配信の記事「教員処遇改善、50年ふり増額へ 月給上乗せ10%以上案」という記事が掲載されている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ef3cf91cea5e893d9af2878be9e9eb439b69f7
 公立学校の教員に対しては、残業手当を支給しないかわりに、基本給4%の特別手当を支給し、その代わり、残業をさせる業務を限定するという形になっている。その4%を10%以上にあげるという案が検討されているということだ。
 私自身は、残業手当という方式も、また、この教職特別手当の方式にも賛成ではなく、別の方式を構想しているが、とりあえず、現行制度を前提に考えれば、あげることは反対ではない。近年の教職に対するあまりに不人気な状況が、文科省すら危機感をいだかせているということだろう。
 しかし、この手当値上げによって、教師の過重労働が改善されるとは思えない。過重労働は、労働量そのものを削減することによってしか改善されないからである。当たり前のことだが。逆に、特別手当をあげたのだから、決められた残業はもっとやれ、などということになりかねない。
 現在の教師の仕事のなかには、本来教師がやる必要のないこと、他の職種の教育労働者がやるべきことがたくさんあるということだ。たとえば、授業を妨害するような生徒がいることは事実であり、担当教師がある程度対応する必要があるとしても、ある程度以上の妨害行為に対しては、私は管理職が引き受けるべきであると思うが、ほとんどが担任教師に押しつけられている。また、保護者のクレーム対応なども、担任であつかえる程度を超えている場合がしばしばあるが、それも管理職が対応を引き受けるべきだろう。文科省は、これまで一貫して、校長の権限を強化する政策をとってきたが、校長が担うべき責任もきちんと行わせるような対応を十分にはとってこなかった。
 また、教委や文科省から、実施を依頼される各種調査なども、管理職がかなりの部分を引き受けるべきであるが、担任教師に押しつけられる傾向がある。
 こうしたことは、いくら手当があがっても、仕事の量が減るわけではなく、過重労働を改善しないことは、明らかであろう。

 では、どうしたら改善できるのか。やはり、授業関連以外の仕事をしたことに対しては、適切な報酬を与えることが必要である。方法としては、いわゆる残業手当と、職務手当というふたつのやり方がある。企業の一般的な形態としては、残業時間に基づく残業手当だろう。しかし、これは、労働者が基本的に勤務時間を基準にして給与が計算されるシステムだからであろう。もちろん、その前に職務内容を前提にした勤務時間だろうが、教職の場合には、通常の業務(授業)と、それ以外のさまざまな仕事の「職務内容」を同一の時間で計るのは無理がある。一時間の授業を行うのに、一時間を費やすだけではなく、その準備やその授業で課した宿題の処理など、一時間の授業といっても、実はかなりの労働がなされており、また、経験や能力などによっても、準備等にかなり差がでる。
 それに対して、校務分掌による仕事、たとえば委員会に出る、行事の指導をする、集団宿泊行事等々、その実質的な労働、準備等々がみな違うのである。
 そして、こうした教師の仕事を時間で割り切ることは、合理的でない。ベテラン教師と新人教師とでは、同じ授業をするための準備に、かなりの違いがあることは自明のことだろう。
 したがって、教師の中心的な仕事である「授業」については、基本的なノルマのコマ数を決め、それを基本給として計算し、それ以上の授業、そして、さまざまな校務分掌については、それぞれに手当の額を決めて、引き受けている校務分掌(仕事)の手当を受け取るという方式が、教師の仕事のスタイルにはもっとも適合しているように思うのである。
 教職には、企業労働者のような残業手当の方式が適切でないことは、たとえば、授業準備をどこで行うかという問題を考えてもわかる。
 授業準備は、学校で行えるのがよいだろうが、家庭で行う人も多数いるだろう。学校で行えば残業手当の対象となり、家庭でやれば、そうではないというのは、やはりおかしな気がする。いろいろなところでそうした不合理が生じるに違いない。

 そして、授業以外の校務分掌や仕事に手当を出す方式であれば、むやみやたらとそうした仕事を増やすことはできなくなる。したがって、過重労働の改善にも有益と考えられるのである。簡単にはいかないが、教職の特殊性と賃金形態については、もっと深く掘りさげて考えるべきなのである。

原作の改変を考える2 ― 2024年04月07日 21:01

 「セクシー田中さん」問題は、論議が活発に続いているとはいえないが、まだなされている。そのなかで、弁護士の人が書いた
『セクシー田中さん』問題で注目される「著作者人格権」 アメリカよりも強力に保護されていた原作者の権利とは?」という文章があった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa3692f2afbb29b64125eaf08f4624445ffc0f86
 ここで注目したのは、著作者人格権は、欧米ではあまり法律としては厳格に規定されておらず、日本のほうが厳しいというのだ。しかし、だからといって、「同一性保持権」を欧米が無視しているとは思えない。これは、当たり前の常識として守られているので、特に法で規定することではないと思われているように思われる。パロディーなど問題にならないというが、(問題にあることもあるはずだが)パロディーは、二次的創作と考えられていて、別ものだという意識なのではないだろうかと思われるのである。

 さて、この間議論の中心のひとつになっていることに「原作(者)への尊重」がある。そこで、この点について具体的事例で考えてみたいと思った。私は、漫画も読まないし、テレビドラマもみないので、現在問題になっている漫画とドラマという枠ではないが、問題としてはどんなジャンルでも同じことだろうと思われる。
 ここでまずとりあげたいのは、トルストイ原作の『戦争と平和』の映画化である。『戦争と平和』は世界最高の文学作品という評価があるが、極めて長く、扱っている内容が社会全体にわたっており、原作に忠実に映画化することは、もちろん不可能である。9時間近い長さをもつソ連製の映画でも、省略されている重要エピソードはたくさんある。だから、そのことは問わない。問題は、些細なことだが、原作との異動である。
 『戦争と平和』の映画化は、著名なものとしてハリウッド映画とソ連の国をあげての制作映画がある。その他にイギリスのテレビドラマがあるが、これは、出だしからあまりに酷い「同一性保持権」の侵害としかいいようがない、筋が改変された展開があったので、最後まで見ることがなく、今回は省くことにする。

 二つの映画は、原作への尊敬は十分すぎるほどにあり、巨額の資金、圧倒的多数の人材投入等々、原作を尊重しつつ、原作が要求するスケールの大きさをできる限り追求しようとしている。作品には、アウステルリッツ、ボロジノという二つの大戦闘場面があるので、そこに投入されている兵士としてのエキストラだけでも、現在では絶対に実現できない程のものだ。CGなどなかったときの映画だから、すべて人が演じている。
 ハリウッド映画は、オードリ・ヘブバーンがヒロインを演じていることでも、大きな話題になっている作品である。そして、できるだけ原作に忠実に作ろうとしている姿勢がある。しかし、重要な(と私は思うのだが)点で、原作というよりも、歴史的事実を歪めている。それは、ロシア帝国のふたつの首都であるペテルブルグとモスクワを区別していないことである。物語は、最初にペテルブルグの社交界であるアンナ・パーブロブナのサロンの場面から始まる。そして、そこに来ていたアンドレイとピエールがアンドレイ宅にいって雑談をするが、そのあと、ピエールは、アンドレイとの約束を無視して、ふしだらな生活をしている若者サークルのところにいって、乱稚気騒ぎをし、更に警官を縛って運河に放り込むという乱暴を働いてしまう。そして、ピエールはペテルブルグを追放になって、モスクワにやってくる。モスクワには、ロストフ一家やピエールの父親がいる。つまり、舞台がペテルブルグからモスクワに異動してくるわけである。
 しかし、ハリウッド映画では、最初からこれらがモスクワで起きたことになっている。アメリカ人にとって、この二つを厳密に区別しなくても、特に気にしないかも知れないが、やはり、きちんとした教養をもっている人にとっては、またロシア人にとっては、相当腹立たしいことなのではなかろうか。
 日本にあてはめれば、江戸時代末期の動乱を描くさいに、京都と江戸を区別せず、同じ場所で起きたことのように描いていたとしたら、日本人としてはとうてい許容できないのではないだろうか。京都の鳥羽伏見の戦いに敗れて、徳川慶喜は江戸に船で帰り、静岡に謹慎する。そして、朝廷軍が江戸に攻めてきて、西郷と勝の対談となるわけだが、そうしたことすべてが江戸で行われているように描かれているようなものだ。江戸と京都は、社会的政治的意味あいがまったく違うように、ロシアのペテルブルグとモスクワも違うはずである。
 これは原作への尊敬だけではなく、歴史的事実への尊重という点でも疑問である。

 ソ連映画はどうだろうか。さすがに、国家的事業として制作された、世界的大小説の映画化なので、そうした変更はほとんどみられない。原作の重要な要素が欠けていることがいくつかあるが(たとえばフリーメイソン関連の話)それは仕方ないだろう。
 この映画の原作尊重姿勢は、俳優の選択に如実に表れている。主人公級だけではなく、隅々まで、原作から飛び出てきたような俳優が演じているのである。その典型が、アンドレイの妹のマリアであろう。原作ではマリアはとても醜い顔をしていることになっている。ところが、ハリウッド映画では、美人女優が演じている。しかし、ソ連映画では、ほんとうに醜いとしかいいようがない女優が演じており、動作なども原作を彷彿とさせる。ここまで原作に忠実にやるのか、と私は感心したものだ。
 ところが、これだけ原作に忠実な俳優選択をしているにもかかわらず、2名だけ原作イメージとかなり違う重要人物がいるのである。それは主人公の一人であるピエールと、その最初の結婚相手であるエレンである。ピエールは30前後で背が高く、進取の気風溢れる人物である。しかし、若者らしく自由奔放な面がある。しかし、ピエールを演じている俳優は50代で背は低く、太っている。まったく若者らしさがないのだ。そして、エレンだが、そこにいればすべての人が目を奪われるような絶世の美女ということになっているのだが、この女優は、どうみても中年の普通のご婦人である。思わず目を奪われそうにはない。明らかに、この二人は、原作のイメージとかなり違っている。しかも重要人物だ。ナターシャ役は、何千人もの候補者のなかから、オーディションで選ばれたのだから、ナターシャと結ばれるピエール役も、ふさわしい役者を選ぶべきだったのではないだろうかと思うのだが、こうなった理由は、おそらくはっきりしている。ピエール役をした人が、実はこの映画の監督であり、エレン役はその夫人なのである。意地悪い見方をすれば、監督という地位を利用して、重要な配役を自らとその夫人に割り振ったといえる。だから、この二人が出ている間は、どうも見ていて、入り込めないのである。厳密に解釈しても、この二人の役配は、同一性保持権を侵害しているとはいえないが、しかし、原作の尊重には反しているように思うのである。

 ニコライは、戦乱中の混乱で農奴たちに反乱されそうになったマリアを助け、その縁でマリアと結婚するのだが(そして、それは破綻した財産を立て直すためでもあった)、そうしたニコライとマリアの関係は、ほとんど省かれている。実は、この二人はトルストイ自身の父母がモデルだから、原作のなかでは極めて重要な筋なのだが。そして、ピエールとナターシャは、結婚後、幸福な生活をしている。物語はここで終わるが、ピエールがデカブリストの反乱に参加し、シベリア流刑になる。そして、ナターシャが夫の元にいき、刑期を終えたあとモスクワに戻ってくるという場面が始まるのが、未刊に終わった「デカブリスト」という小説の書き出しである。実際に夫婦でシベリアにいき、無事帰ったひとたちが何組かあったのだが、そうした人物を主人公に構想しながら、彼等の若きころに遡っていくうちに、「戦争と平和」という小説に結実したのである。「戦争と平和」の最後の場面は、ピエールがデカブリストの会合にでて、帰宅したあと、その話の内容をナターシャに語る場面で終わる。しかし、それが、デカブリストの会合であったことは示されない。こうしたエピローグまで含めれば、このソ連映画の印象もまたずいぶんと変るに違いない。

ポリーニが亡くなった(つづき) ― 2024年03月31日 21:57

 向かうところ敵なし状態だったポリーニに、重大な問題が発生する。手の故障である。事情をよく知る人の話では、腱鞘炎になったということだ。そして、実際の症状よりも、精神的な焦りのようなことのほうが、大きな問題だったようだ。不運だったことは、誰にも訪れる高齢化による技巧的な衰えが始まる時期と重なったことだろう。40代後半に腱鞘炎になったとすると、それ以後、腱鞘炎を克服したとしても、やはり、再発の恐れなどに囚われるはずである。
 そうした影響が出始めたころ、ネットでは、ポリーニは練習不足だとか、怠けているなどという書き込みがけっこうあった。しかし、私からみると、練習不足などではなく、練習のやりすぎで腱鞘炎になってしまったわけだ。

 カルロス・クライバーの伝記に、次のような内容が書かれていた。原本を今所有していないので、正確ではないが、ポリーニは、熱心にクライバーに対して共演しようと提案していたのだそうだ。クライバーは乗り気ではなかったのだが、ポリーニの熱心さにまけたのか、承諾して、予定もたてられた。しかし、実現する少し前に、ポリーニから断りがあり、それは病気のせいだと説明があったというのである。そして、その後、共演の話はまったくでなくなった。ポリーニは、他にも、共演を断った事例がある。私の記憶では、シェーンベルクの協奏曲をブーレーズと演奏し、録音計画があったが、その計画はキャンセルされ、その後アバドとの共演で録音が実現している。クライバーとの共演が実現しなかったのは、私は、ポリーニの腕の故障が原因であると思っている。病気が単なる風邪とか、医療で治るものであれば、治った段階で、共演が実現してもおかしくない。しかし、まったく話がでなくなったのは、ポリーニが故障によって、少なくともクライバーのような完璧主義者との共演を躊躇するようになったのではないかと思われる。

 ポリーニの録音時期からすると、私が感じ取った限りでは、ショパンのスケルツォ集のときには、影響が出始めており、パラード集では、技巧的にも、解釈的にもはっきりとマイナスの影響が現われている。私が実演を聴いて圧倒されたバラード1番は、これがポリーニかと思われるほど、前のめりの落ち着かない演奏になっていて、若いころのEMI録音と比較すると、その違いがよくわかる。もうあの完璧なポリーニを聴くことはできないのだ、と悲しい思いになったものだ。

 だが、世の中、やはり多様な受け取りがあるもので、全盛期のポリーニは嫌いだが、テクニック的に衰えたポリーニの演奏は好きだという人が、少なくないのである。要するに、ロボットが演奏しているような無機的なものではなく、人間味を感じるというのだ。
 海外の論調はわからないが、日本人のこうした晩年のポリーニの高評価は、おそらく、「歌心」がテンポや強弱の揺れによって感じられるという、一種の演歌的感性によるものではないかと思っている。たしかに、歌いこむときには、テンポを揺らすことが多いし、意図的に強弱をつける。しかし、ポリーニは豊かな感情表現で歌心を示すときにも、こうしたテンポの揺れなどを手段として使わない。曲そのものが要請するテンポの変化はつけるが、いささかも恣意的な感じはしない。にもかかわらず、ポリーニの演奏には豊かな歌がある。それは、おそらく、彼のピアノの音そのものが歌っているからであろう。歌の国イタリアの演奏家らしい側面だ。トスカニーニがそうだった。音そのものが歌っているので、テンポを揺らす必要がないのだ。しかし、その音そのものを感じ取りにくいと、ポリーニの演奏は、いかにも無機的にしか響かないのかも知れない。
 故障後のポリーニは、どうしても前のめりになったりするテンポの揺れが目立つようになった。それを歌心として感じるのではないだろうかと思っている。しかし、残念ながら、そのときのポリーニは、音そのものの歌がかなり失われてしまったのである。

 もうひとつ、若き全盛時代と、衰えた晩年で非常に目立った変化がある。それは、演奏後の表情だ。若いころは、どんなに圧倒的な名演をし、聴衆が沸き立っているのに、にこりともしないでお辞儀をしていた。いかにも、今の演奏には、自分が満足できないのに、このひとたちは何故こんなに熱狂しているんだろう、といわんばかりだった。
 しかし、晩年のライブをみると、聴衆の拍手にうれしそうに、にこにことこたえている。もっとも、ドヤ顔ではまったくなく、拍手してくれてありがとう、という感じだ。晩年のインタビューで、何故高齢になってもピアノを弾くのかと問われて、楽しいからだ、と答えていたのだが、そういう心境になっていたということなのだろう。
 しかし、あの完璧な演奏を聴き、それでもまだ高みをめざしていたポリーニを知っている者としては、あの全盛期に世界各地で行っていたベートーヴェンのソナタ全曲演奏の録音をぜひCDにしてほしいと思うのである。ドイツグラモフォンは、ポリーニの演奏会は、すべて録音していると雑誌で読んだことがある。いまこそ、その録音を活用してほしいものだ。

ポリーニが亡くなった ― 2024年03月25日 20:12

 20世紀後半を代表するピアニストの一人であるマウリツィオ・ポリーニが亡くなった。ポリーニのことは、何度もブログで書いたし、たった一度だけだったが生の演奏を聴くことができたので、そのことも触れた。生涯で聴いた最高の演奏会だった。まだ30代でバリバリの、いく所敵なしという感じのときの演奏会だった。ただし、リサイタルのチケットはあきらめていたので、N響の定期会員になった。まだ未定のときだったが、来日すれば、かならずN響に出演するに違いないと考えてのことだった。
 そして、実際にN響に出演し、ショパンの2番のコンチェルトを弾いた。定期会員だから、同じ席(しかも3階という響きのよくない場所だったのだが)でたくさんのピアニストを聴いたのだが、ポリーニの音は、まったく特別だった。ピアノってこんなにきれいな音なのかとびっくりしたものだ。最初の出だしの音から、美しく、そして引き締まった音に驚いたが、第二楽章のころがるような繊細な音も、うっとりするような音だった。
 そして、アンコールで弾かれたバラード1番は圧巻で、後に座っているN響の団員たちが、まったく熱狂する聴衆と化していたのは、ライブ映像を含めて、このとき以外にはなかったように思う。
 ポリーニが嫌いな人もけっこういて、無機的だとか、表情に乏しいなどという批判をしていたが、何を聴いているのだろうかと思う。若い頃のライブ映像をみると、ポリーニが、いかに音楽に没入し、渾身の力をこめて演奏しているかがわかる。

 さて、ポリーニの偉大さとは何か。それはいくつかあると思う。
 ポリーニが現われるまでは、世界トップレベルのピアニストは、たいていベートーヴェン弾きとショパン弾きという類型に分けられていた。ベートーヴェン弾きの代表は、バックハウス、ケンプであり、ショパン弾きの代表はコルトー、ルージンシュタインなどだろう。ホロビッツなどのように分類しにくい人もいたが、強いていえばショパン弾きに近いという印象をもたれていたと思う。正しいかどうかは別として、ベートーヴェンの音楽は「構築」性が強く、ショパンは「叙情性」が強い、それに応じてピアニストもどちらかを得意とするようになっていたのではないかと思うのだが、ポリーニは、その両面を完全に駆使することができるピアニストだった。彼以前にはいなかったといえる。アシュケナージはもっと広いレパートリーをもっているが、彼が若いころは、ベートーヴェンの演奏家としては評価されておらず、ソ連から亡命して、西側で活動するなかで、再度ベートーヴェンを徹底的に勉強し直した結果、ベートーヴェン弾きとしての地位を確立したとされる。
 ポリーニは、その点最初から両方の領域で決定的な名演を実現した。
 ポリーニが圧倒的な演奏で世間を驚かせたのは、ショパンの練習曲集だったが、それから間もなく、ベートーヴェンの後期ソナタ集で、またまた驚異的な名演を残した。ハンマークラビアソナタが、あれほどの技術的安定感と強い説得力で演奏されるとは、それまで考えられもしなかったのではないだろうか。そして、ショパンの練習曲集は、発売を予定していたアシュケナージが、ポリーニの演奏がでるという情報をえて、自身の発売を延期し、再度部分的に取り直して発売したと言われるように、世界的なピアニストにすら、大きな衝撃を与えたのだった。
 要するに、ポリーニは、その後のピアニストに対して、音楽性(構築性と叙情性)と技巧とを兼ね備えていることを、最低条件にしてしまったのである。
 だから、その後のピアニストは、ショパン弾きとか、ベートーヴェン弾きなどというレッテルが貼られることもなくなった。両方弾きこなせなければ世界には通用しなくなったのだろう。日本の代表的なピアニストである横山幸雄が、ショパンの全曲演奏会をやり、ベートーヴェンのソナタ全集を録音しているということが、この変化を象徴している。(続く)

大谷最大のピンチ? ― 2024年03月22日 21:40

 韓国におけるドジャースの開幕戦の最中に、とんでもないニュースが流れ、多くのニュース番組がこの問題に覆われた感じすらあった。ニュースで詳しく報じられているので、内容には触れないが、最大の問題は、水原氏の説明の逆転の真実と、それによって、大谷自身が水原氏を援助したのかということに尽きるだろう。とくに、大谷が罪に問われるのか、大リーグにおいてなんらかのペナルティを課されるのかということである。
 大谷自身が賭博そのものを行ったわけではないことは、確実であるといってよいだろうから、ピート・ローズのような永久追放などということにはならないだろうが、逆に、単に大リーグが禁止しているという意味での賭博に関わったというレベルではなく、違法賭博だから、刑事罰を課せられるような事態がありえないわけではない。そうなれば、間違いなく大リーグからの追放となるに違いない。情報は錯綜しているので、何が事実であるかは、現時点では誰にもわからないのだろうから、大谷にとって、マイナス面がないように進展することが望まれるが、しかし、それにしても、考えさせられる事件であると、多くの人が感じたことだろう。

 大谷は、とにかく野球に人生をかけ、野球の向上のために、生活のすべてを企画実行してきたことで知られている。しかし、そのことは逆に、通常の社会的な常識や知識が欠けているかも知れないと思わせることがある。それでも、通常は道をはずすことはないだろうが、あれだけ若く、お金をもっている人間には、悪意をもって近づくものが多いことも、世の常だ。悪いことでは決してないが、お金の使い方には、常識外れなところがある。自分に背番号を譲ってくれた選手夫婦に、何かお礼の贈り物をするのが慣行だというが、ポルシェをプレゼントしたというのは、かなり驚きをもって受け取られた。いろいろなところに多額の寄付もしているらしい。そのことは、通常は称賛の気持ちをもたれるのだろうが、しかし、そうした金銭感覚を利用しようとする人がいることも間違いない。大谷が、もっとずっと締まり屋で、決して多額の寄付をしたり、融通したりはないという人間であれば、水原氏が、7億円近い借金の返済に協力してほしい、などと頼みにいかなかったかも知れない。そして、そういう違法性のある行為の始末をすることが問題であることは、常識があればわかることだから、水原氏の願いをいれる前に、球団なり弁護士に相談することを、しっかりした金銭感覚の持ち主だったら、実行するに違いない。違法行為に加担することが、自分の人生を台無しにする可能性があることは、当然認識していなければならない。大リーグは、毎年、シーズン開始前に、全員に対して、賭博問題についての講義を実施しているということだ。だから、何度も大谷は、そのことを聞かされているはずである。まさかとは思うが、通訳が水原だから、正確に通訳しなかったなどということで、大谷が正確な理解をしていなかったなどということなのだろうか。
 あるいは、大谷が全く知らなかったということだったとしても、それなら窃盗にあったわけで、資金管理やパソコン管理が徹底していなかったことになる。あれだけの収入があってそうした管理が甘いとすれば、かなり危ない状況だ。

 球団は当然大谷を守ろうとするだろうが、守りきれないこともありうる。なにしろ、大谷の口座から違法賭博の人間に巨額な振込があったことは、事実だろうから、大谷が賭博をしなかったとしても、違法行為を認定される可能性はあるわけだ。
 大リーグを追放されたら、日本のプロ野球は受け入れるだろう。日本では、やはり被害者として理解されるだろうし、日本で違法行為をしたわけではない。日本でプレーすれば、実際に大谷を見ることができる。大リーグで活躍するのもいいが、実際にそのプレーをみれないよりは、見られるほうが、野球ファンにはうれしいかも知れない。

読書ノート『国体の本義』 ― 2024年03月19日 21:34

 五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
 最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。
 その後、建国神話から飛鳥、そして明治に到る歴史の概略が示されるが、常に天皇中心に描かれている。
 そして後半は、明治移行流入した西欧思想の合理主義、個人主義、自由主義、社会主義等々が、日本の国体にはあわない表面的な思想であると批判される。そして、五カ条の御誓文や教育勅語等々の理念が示され、明治天皇の和歌によって、日本精神が示される。

 私は、主に欧米の教育制度を研究対象にしてきたので、『国体の本義』の全文を読んだことがなかった。ただ、内容そのものはまったく目新しいものではなく、さまざまな文献に示されているから知っていることばかりだったが、こうしてまとめて読んでみると、一番不思議に感じたのは、この文章を書いたひとたちの精神状況は、どんなものだったのだろうかということだった。もちろん、『国体の本義』編纂のために集められたひとたちは、当時において知的レベルの高いひとたちだったはずであり、たとえば、吉田熊治などは、当時最も権威のある教育学者だった。現在でもある程度影響力のある和辻哲郎もはいっている。だから、書かれていることについての現実的妥当性については、間違いなく正確に判断できるひとたちであろう。しかし、ここに書かれていることは、間違いなく神話的創作であり、事実とはまったく異なることが、古代だけではなく、明治に到るまでいたるところに書かれている。
 万世一系の天皇がずっと日本を統治してきたという歴史が書かれているわけだが、古事記と日本書紀によって建国が書かれて、それは「事実」として扱われている。もちろん、筆者たちは、それを歴史的事実として認識していたのでないことは明らかであるから、なんらかの形で、「事実としての歴史」を学校で教えることについて、考えるところがあったはずである。
 国民を二つに分け、真実を教える上層と、真実など知る必要がないとする下層のものに応じた対応であると割り切ることはできたとしても、それならば、この『国体の本義』全体として流れる、天皇の前にはすべての者が平等で、「和」の精神で協調する存在であるという建前に反することになる。

 歴史的事実に反することも相当書かれている。天皇が万世一系ということが、血筋が継続しているというだけではなく、平和的に系統がつながって生きたことも含意していたわけだが、当時ですら、壬申の乱、保元・平治の乱、鎌倉後期の二つの系統の相剋と妥協、南北朝の対立など、天皇の内部的争いは何度も生じてきたことは、知られていたはずである。
 また、日本人は、主人に対して忠実であることが、歴史的に常に実現していたかのように書いているが、源平対立、鎌倉末期から室町前期、そして戦国時代は、裏切りや下克上は珍しくなかったことも周知の事実である。

 明治以前の歴史は、かなり史実に反することが書かれており、そして、それは筆者たちも認識していることだったろう。
 『国体の本義』が作成されたのは、天皇機関説事件のあと、国体明徴が宣言され、その実質化として、教育をとおして、国体の認識を徹底させることが目的だったから、当然、天皇絶対の価値観、西欧的価値観の排撃が大前提だったから、執筆者としてのメンバーに入ることを承知した時点で、神話的歴史が書かれ(当時の国定教科書はその立場で書かれていた)、自由主義、社会主義、合理主義などが、否定されることは明白であった。それを承知での参加だから、悩むことなどなかったのだろうか。
 紀平正美のような国体積極肯定論者は、矛盾を感じないのかも知れないが、吉田熊次や和辻哲郎が、疑問を感じなかったはずはない。
 次の課題として、心底時局に迎合していたわけではないが、『国体の本義』の編纂に参加していたひとたちの著書で、何か書かれているかを探してみることにしよう。

小学校の卒業文集廃止の動きについて ― 2024年03月14日 21:52


 確かに、これまでは卒業文集なるものを作成するのが普通だった。少なくとも小学校においては。中学校や高校ではなかったと思うし、大学では当然ない。しかし、小学校でも卒業文集を廃止する動きがひろがっているのだそうだ。
「小学校で広がる 「卒業文集」廃止の動き 背景に先生の業務過多も保護者たちの反応は?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d199210f44f58bc44436695de04f3a856d05ffc5

 結論からいえば、廃止はごく自然なことだと思う。
 私が大学を定年で退職したのはコロナが拡大し始めた2020年だが、その時に、学部で独自に作成していた卒業アルバムの作成を止めた。大学が作成している卒業アルバムはつづいていると思うが、私の学部では学部独自のものが中心だった。何故、止めることになったかといえば、ほしがる学生が極めて少なくなったからである。当然欲しい人だけに配布するので、有料である。しかし、お金をとられるよりも、そもそもアルバムという存在に、あまり関心がなくなっていることを感じた。彼等にとって、写真はアルバムなどでみるものではなく、スマホの画面でみるものなのだ。お互いに親しい者同志が写真をとりあって、それをスマホに入れておくほうが、写真を保存してみる上では、ずっと便利である。だから、わざわざ重い紙に印刷されたアルバムなど欲しくないのだ。

 若い世代ほど、紙媒体よりはデジタル媒体で処理することに慣れているし、そのほうが便利であることを感じている。だからアルバムにせよ、文集にせよ、若い世代と中年以上の世代とは感じ方。が違う。紙に印刷された媒体ではなく、ネット上、あるいはパソコン、スマホに残された形で保存するほうがしっくりくるという感覚である。そういう世代が育っているのだから、そうした感覚に合わせて、「思い出」の形も変えていけばよい。
 ただ、記事になっている卒業文集の廃止は、そうした子どもたちの感覚の変化に応じたものではなく、あまりに過重な労働を強いられている教師たちが、更にたいへんな時間と労力が必要な卒業文集の作成から逃れたいという願望が原因である。ということは、受け取る側の感覚と、作成する側の願いとが一致することになる。だから、自然な流れだと思うのである。