ポルトガルで中絶合法化に向けて2007年02月12日 22:39

 オランダの新聞で知ったのだが、ポルトガルで中絶の合法化に踏み出すようだ。もっとも、年来の懸案であって、カトリック国であるポルトガルは非常に厳しい中絶政策をとっていたようだ。レイプなどによる妊娠が12週程度まで認められるだけで、それ以外は違法になるので、緩やかなスペインで中絶をしていたという。
 それがソクラテス首相が国民投票の結果を踏まえて、議会に緩やかにする法案を提出する決意を固めたということだ。国民投票の結果は賛成が53%で、賛成派がはるかに多かったようだが、残念ながら国民投票そのものが成立しなかったようだ。有権者の過半数の投票が成立のために必要だが、43%だった。従って、国民投票によって有効になることはないのだが、首相として法案を出すということだ。それでも10週までの合法措置であって、日本から見ればずいぶんと厳しい。
 結局のところ中絶を厳しく制限すると、違法な手術が横行することになり、また、臨まない出産で苦しむことになるのが女性だ。だから、カトリックでも中絶の合法化が進んできたが、ポルトガルも遅ればせながらということになる。

放送法改正で「事実」の認定?2007年02月21日 09:38

 2月21日の新聞によると、総務省がテレビの報道番組で事実を曲げた番組を流した場合には、「再発防止計画の提出」を求めることを可能にする改正を準備しているという。今までは任意だったものを強制にするのがポイントのようだ。強制の場合には処罰も可能になるから、重大な変更ということになるだろう。

 「関西テレビの「発掘!あるある大事典2」の番組ねつ造問題を受けて、総務省が検討している放送法改正案の概要が20日、明らかになった。「報道は事実をまげないですること」に違反した放送局に、総務相が再発防止計画の提出を求める規定を新設することが柱になる。計画提出を求める場合には、総務相が電波監理審議会に諮問する手続きを設けて恣意(しい)的な行政処分に歯止めをかける方向だ。だが、総務相が「事実」かどうかを基に放送内容に踏み込んで行政処分する規定を新設することは、憲法が保障する表現の自由に抵触する恐れもあり、論議を呼びそうだ。

 総務省が検討している放送法改正案では、これまで行政指導で任意で求めてきた不祥事の事実関係調査や、再発防止策について提出を強制するものとなる。対象は「事実でないことを事実であるかのように放送し、国民の生活や権利に悪影響を及ぼすおそれがある」場合に限定することで、ねつ造の再発を防ぐ考えだ。

 放送局が法令に反した場合、総務省はこれまで「警告」などの行政指導をしてきた。電波法に基づいて、一定期間の電波停止や放送免許を取り消す厳しい行政処分を行うことも可能だが、放送局の経営に影響が大きいことなどを理由に前例がない。このため、菅義偉総務相は、中間的な行政処分を導入する必要性を強調していた。【小島昇、臺宏士】(読売新聞2007.2.21)」

 現在の日本は少なくともメディアに関する限り、かなりの程度国家統制が進み、ある面ファシズム化が進行していると考えざるをえない。もちろん、インターネットなどの自由なメディアも機能しているから、「ある程度」であるが、それに対しても権力の統制が進行している側面を否定できない。
 またメディアの方も結局それに追随している。従軍慰安婦の放送に関するNHKの対応は、権力の介入というよりも、それを先取りした追随という感がある。記者クラブが一向に改善されない、ましてや廃止されないという点をみても、メディア側の問題は無視できない。
 しかし、だから権力がメディアの内容チェックをしてよいということにはならない。上記の読売の記事はその後、権力による統制という危惧があるということを指摘しているが、当然のことだろう。

 「あるある大事典」の事実を曲げた事例は問題だろう。しかし、あれは権力が検討した結果、間違いが訂正されたわけではない。メディアの間のチェック機能が働いたこと、視聴者自身がおかしいという気分を抱き、注視していたことが、事実を曲げたことを発覚させた原動力である。今回は権力の方がこれに追随して悪のりしている。メディアの相互チェックも働かず、国民も気づかないのに権力側がチェックして国民に嘘を暴いたのならば、今回のような改正もそれなりに理由があるかも知れない。しかし、ある面健全なチェック機能が働いたのに、このような改正を提案するということは、言論の自律的なチェック機能を抑圧しようとしているのかとすら思われてくる。

 今回の関西テレビや番組を制作した企業は、メディアや国民のチェック機能によって大きな批判を受け、そして、大きな代償を払ったわけである。更に権力が何をする余地があるというのか。

 更にもうひとつ踏み込む必要がある。
 人間誰しも間違える。今回のような意図的な捏造は厳しく社会によって批判されるべきだが、間違えてしまうことに対しては、寛容であってもよい。もともと、メディアの流す情報は間違いがあるかも知れないという意識を常にもっていた方がいいのである。それにもともと何が正しいのか、などということはそんなち簡単に決められることではない。
 むしろ、メディアを誰かが常にチェックしていて、「正しい内容」がそこにある、間違いは訂正される、などという意識が支配的になることの方がよほど困ったことではないだろうか。

刑務所の作業と社会復帰2007年02月21日 22:49

 読売新聞2007.2.21号に、法務省が刑務所を出所した人たちへのアンケートを実施したことを紹介している。記事の一部を引用しておく。

 「調査は、法相の諮問機関「行刑改革会議」の提言を受け、2005年度中に全国74施設を出所した受刑者3万27人(有効回答84・1%)を対象に実施した。
 受刑者が施設内で行う刑務作業に関する質問では、「良かった点」(複数回答)として、約4割が「規律正しい生活習慣」や「忍耐力」が身に付くと回答。しかし、「不満だった点」(同)で、「社会復帰に役立たない作業が多い」が約35%、「作業の業種の希望を聞いてもらえない」が約28%あった。
 職業訓練についても、受刑中に訓練を受けなかった1万9252人のうち、約64%が「訓練を受けたかった」と回答。法務省矯正局では「高度な技能が身につくような内容の刑務作業を確保するのが難しく、職業訓練も希望者全員が受けられる体制になっていない」と説明している。」(2007年2月21日21時30分 読売新聞)

 興味深いことは、約3万人のうち2万弱、つまり3分の2が受刑中に訓練を受けておらず、しかも訓練を受けなかった者の64%は受けたかったのだそうだ。そして、受けた人の40%は生活習慣とか忍耐力での積極的評価があるが、実際の具体的訓練の効果という点ではかなり不満があるということのようだ。
 一時韓国の刑務所でコンピュータブームで、受刑者の多くがコンピュータを学ぶことを希望し、資格などをとっている、そして、出所後刑務所で得た技術を活かして社会復帰しているというようなことが紹介されたと記憶する。その際、日本の刑務所でのコンピュータ教育は著しく遅れているのが問題だとされていたと思う。
 もちろん、多くの日本人は、悪いことをして刑務所に入るのだから、苦しむのが当然で、まして希望する職業訓練を受けようなどというのは虫のいい話だと感じているだろう。しかし、いくら不快でも、しっかりと効果的な訓練をして出所して、その後まじめな社会生活を営めるようにするのが、社会的負荷が最も軽いのである。社会復帰に失敗すれば再度犯罪を犯す危険性が高いわけであるから、やはり刑務所での教育活動はより社会に適合的であり、かつ効果的になされる必要がある。このことを多くの国民が認識することが大切なのだろうと思う。
 
 そういう意味で非常に参考になるのは、北欧の制度である。スウェーデンやデンマークでは刑務所は厳格な試験を経てのことであるが、定期的に外に出て活動することが許される「開放的刑務所」制度をとっている。そして、多くの国民はそのことを認識している。もちろん、遊ぶために外出するわけではなく、多くは学校に通う。また、スポーツクラブなどで指導をする者もいる。これは刑務所だけではなく少年院などにも適用されている。
 もし、国民の多くが納得すれば、これは日本のように刑務所内に教育の場を設定するよりもずっと合理的でかつ経済的である。社会に既にある学校を利用するわけだから、わざわざ刑務所の中に様々な教育形態を用意する必要がないし、また、刑務所にいる者にとって最も困難なことが、社会と触れ合うことで、人々とうまくやっていくことなのだから、こうして外に定期的にでることで、人々と接することができ、それが社会復帰にすることを容易にするだろう。
 ただ、綿密な調査をしたわけではないが、私がスウェーデン人とデンマーク人に実際にこの制度をどう思うか聞いたとき、スウェーデンの多くは肯定的であったが、デンマーク人はほとんどが批判的であった。だから、単純に社会に十分に受けいれられているのかはまだわからないと感じた。