従軍慰安婦、アメリカ下院決議への読売社説2007年08月01日 17:47

 読売新聞の8月1日社説は、アメリカ下院の「従軍慰安婦決議」への抗議的内容だ。そこでは、安倍内閣が繰り返し述べていることの焼き直しだが、他の国だってやっているのに、「なぜ、日本だけが非難決議の対象とされるのだろうか。」と疑問を述べている。論説委員たちにしてはあまりにお粗末な認識というべきだろう。慰安施設が長期的な戦争につきものなのは事実だし、確かに、アメリカ占領政策のときに、アメリカの兵士を対象として「慰安」婦が多数いたことも事実だ。小説の題材などにもたくさんなっている。有名なところでは、松本清張の『点と線』などがある。
 しかし、だから、日本だけがなぜ非難されるのかわからない、という言い方は、まったく日本の慰安婦政策が「特殊」なものだったということを理解していない、歴史的無知をさらけ出したというべきだろう。
 アメリカ占領軍は、アメリカから慰安婦をつれてきたわけではない。読売社説は、ドイツについては、「ドイツ軍にも慰安施設があり、占領された地域の女性が組織的・強制的に徴集された」と主張している。なのに、日本だけが非難されるのはおかしいというわけだ。ドイツについては、また別の観点が必要だが、アメリカとの関連でいえば、日本軍の慰安婦は、日本人を連れていったというところに「独自性」がある。もともとの日本人ならば、日本軍相手ということで、確かに公認の売春制度があった時代である以上、自発的に行った女性もいたかも知れない。しかし、多くの場合は、何らかの強制性あるいはごまかしがあったと考えるのが自然だろう。そもそも、命の保障などまったくない遠い戦地に、好きこのんで行く女性がたくさんいると考えるのは不自然だ。徴兵された兵士だって、赤紙がくるのは嫌だったのであり、国家権力の強制力があったから、戦地に赴いたのだろう。まして、多くの女性が戦地に自発的に行くはずがない。まして、本来の日本人でない植民地の女性は尚更のことだ。つまり、自発的であるにせよ、あるいは強制的でるにせよ、通常戦地となっている現地の女性が行うのが普通の形態であるのに、日本軍はそれを植民地も含めた日本から調達したことが、「強制性」を否定しがたいものにしているのであり、それを「自発的だった」「強制はなかった」などということはごまかし以外のものではないのである。
 さて、現地(占領地)の女性を強制的に駆りだすことは、戦争である以上歴史的には繰り返されてきたことだろう。日本もインドネシアでオランダ人女性に強制したことで、今尚オランダ人から非難されているわけである。(読売新聞はインドネシアも強制はなかったと考えているのだろうか。)
 では、何故ドイツが非難されず、日本が非難されているのか。現地部分についてはおかしいではないか、という疑問は確かに論理的には成り立つ。しかし、読売新聞論説委員であれば、その理由は百も承知だろう。少なくともドイツは、日本よりも明確に戦争責任を認め、賠償責任を果たしてきた。欺瞞的なやり方だという批判もあるが、少なくとも日本よりは、その点で国際社会に理解されていることは確かだ。
 何故今日本が非難されているのか、それは、安倍内閣が、責任逃れの発言したからだろう。もちろん、安倍首相や読売新聞の「歴史認識」が正しいわけではない。強制性があったという認識の方が真実に近いと考えるべきだ。そうした責任逃れをしているから非難される。ごく当たり前のことではないか。