こちらで復活します2023年12月15日 21:58

 この間ずっとこちらのブログは活用せず、さくらネットにブログを開設していました。しかし、そちらではPHPのバージョンが古くなったり、ワードプレスのバージョンも古くなり、そのアップの仕方があまくいかず、機能停止状態になってしまったので、そうした面倒な部分がない、こちらのブログのほうが、利用しやすいのではないかと思うので、まずはこちらでブログを復活させていきたいと思っています。
 とりあえずは、復活宣言です。

オペラの魅力は重唱と場面2023年12月16日 13:47

 オペラといえば、まずは有名なアリアが思い浮かぶ。そして、アリアから全曲に入っていく人が多いに違いない。私の場合、オペラに接した最初は、NHKが招いたイタリアオペラのテレビ放映だったので、最初から全曲を見て聴いた。もちろん、最初に注目するのは、有名なアリアだったが、それでも、魅力的な場面には惹かれた。そして、オペラは、「歌劇」なのだということを実感させてくれるのが、やはりドラマが展開していく場面であり、そうしたところは、複数の歌手が絡み合いながら歌とドラマが展開していく。そして、オペラの魅力的な音楽が、そうした重唱にこそある。そこで、私がもっとも魅力的に感じるオペラの「場面」を紹介してみたい。

 カルメン
 まずはオペラの王ともいうべき「カルメン」(ビゼー作曲)だが、「カルメン」は、そうした場面、複数の歌い手が歌う部分が非常に多く、むしろ、単独のアリアはほとんどない。ハバネラや闘牛士の歌は合唱が入るし、セギディリギアや花の歌はカルメンとホセの二重唱のなかにある。完全に単独で歌われるのは、ミカエラの3幕のアリアくらいだ。
 カルメンは、伍長だったホセが、密輸団のカルメンに恋をして、最終的にカルメンを殺害してしまうという話だ。喧嘩の首謀として罰せられることになるカルメンを護送中に、カルメンに説得されてカルメンを逃がしてしまい、営倉に容れられていたホセが、釈放されてカルメンのところにやってくる。(その前に闘牛士エスカミリオの歌や、密輸団の五重唱があり、ホセを誘い込めという提案がカルメンになされている。)カルメンはご機嫌でホセのために踊るのだが、帰宅のラッパがなるので、帰ろうとするホセをカルメンが激しく非難する。そこで、歌われるのが、オペラ上最も情熱的な愛の歌である「花の歌」だ。しかし、カルメンが納得しないまま、ホセが帰ろうとすると、そこにホセの上官がやってきて、ホセを叱責して、早く帰れというが、ホセが拒否して、結局密輸団に入ることになる。当初はホセとカルメンの二重唱だが、やがて上官や密輸団、そして合唱が入ってくる、「カルメン」のなかでも、最も盛り上がる場面である。
 私は、「カルメン」に関しては、カルロス・クライバーが断然すばらしいと思う。全曲がyoutubeにあるので、ぜひ視聴してほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=j6rpw8uRGOc
 上記の場面は、1時間8分あたりからになる。

 椿姫
 ベルディの「椿姫」は、彼のオペラの題材としてはめずらしく、古い時代ではなく、当時の現代の、しかも実話の小説を扱っている。オペラとしては、それは珍しいことだった。高級娼婦であるヴィオレッタと田舎紳士であるアルフレードが、パリ校外で生活を始める。そこにアルフレードの父ジェルモンが、ヴィオレッタに、アルフレードの妹が結婚するのだが、兄が娼婦と生活していると、結婚が壊れてしまうので、別れてくれと迫る場面である。生活費を出しているのはヴィオレッタだったのだが、ジェルモンはアルフレードが出していると誤解しており、そうした誤解を解く場面もあるが、とにかく、抵抗するヴィオレッタも、結局折れて、別れることを約束する場面である。
 このヴィオレッタとジェルモンの二重唱は、傑作オペラの「椿姫」のなかでも、とりわけ音楽的に優れた部分と、多くの人に認められている。
 多数の映像がyoutubeにもあるが、私が最もすばらしいと思うのは、ショルティ指揮、ゲオルギューが歌うイギリス・ロイヤルオペラのライブ映像だ。これには、少々思い出があり、脱線するが、私が大学につとめていたとき、学生のヨーロッパ福祉研修につきそったことがある。イギリス訪問時に、夕方自由時間があったので、ロイヤルオペラにいったのだが、当日雨にもかかわらず、切符売り場から外にかけて、長い行列ができているのだ。ほとんどないらしい当日券と、キャンセル待ちをしているらしい。行列の長さから、とうていはいれないと諦めて帰ったのだが、そのときの公演が、このショルティ指揮の椿姫だったことが、あとでわかった。幸いにもDVDがでたので、購入し、何度も視聴した。指揮、歌手すべてがすばらしい。アルフレードが弱いというのが、ほぼ定説になっているが、私はそうは思わない。弱い歌手をショルティが使うはずがないのだ。新しいプロダクションのプレミエ公演だったのだから。まだ30前だったゲオルギューは、歌だけではなく、視覚的にも満足させてくれる。
https://www.youtube.com/watch?v=u3pP-BwxMsI
 40分あたりから、この二重唱が始まる。
 日本語字幕がほしい人は、佐藤しのぶが歌う映像がある。このアルフレードは、アラーニャである。
https://www.youtube.com/watch?v=HmuLir2N-gE

 コジ・ファン・トゥッテ
 モーツァルトは、どのような場面でも、それにふさわしい音楽をつけることができた人だから、オペラのドラマが進行する、印象的な場面が多数があるが、私がとりわけ魅力を感じるのは、「コジ・ファン・トゥッテ」のほぼ最終場面で、フィオルディリージが落ちるところだ。
 「コジ・ファン・トゥッテ」というオペラは、初演時政治的事情で、わずかな上演で打ち切られ、その後、ほとんど上演されないまま戦後に到ったようだ。そして、傑作と広範に認められるようになったのは、1970年くらいからではないだろうか。それまでは、ベームの孤軍奮闘だったような気もする。認められなかった理由は、女性蔑視だからということだ。フェランドとグリエルモが自分たちの恋人を礼賛しているのを、哲学者のアルフォンソが女の恋心などあてにならないと揶揄し、怒った二人と賭をする。2人が違う恋人に迫って、24時間以内に愛を勝ち取れるかというのだ。それで、最初はふざけていた二人だが、だんだん真剣になって、最終的に、フィオルディリージとドラベラが違う人の愛を受け入れてしまうという話だ。最終的には、これはアルフォンソの仕組んだ芝居であることがわかり、大団円になるのだが、男性も女性も、少しずつ微妙に感情の変化がおこり、それをモーツァルトは非常に巧みに音楽で表現している。女性蔑視というよりは、女性が自立する姿が描かれているとも解釈されるようになり、現在では、あらゆるオペラのなかの最高傑作と評価する人も少なくない。
 本来はフィオリディリージとグリエルモ、ドラベラとフェランドのペアだったのだが、まずグリエルモがドラベラを落とし、フェランドはがっくり来てしまう。フィオリディリージはあくまで、グリエルモへの貞節をまもろうとするが、揺れている。それを払拭するために、グリエルモの軍服をきて、戦場にいくことを決意するのだが、そこにフェランドがやってきて、フィオリディリージのもっている刀を自分につきつけて、最後の説得を試み、結局、彼女も受け入れる。それを外でみていたグリエルモが失意のどん底に落とされるというわけだ。そして、アルフォンソが「コジ・ファン・トゥッテ(女はみんなこうしたもの)」というモチーフを歌う。
 このオペラの演出はさまざまな変更があり、一番極端なのは、女性二人が、相手がとりかえて自分たちを口説いていることを知っていて、それを受け入れるというものだろう。ポネルの映画版が最初のようだ。
 また、オペラとして、めずらしいと思うが、主役6人が、ほぼ同等の重みをもっており、そのため、多くの音楽が重唱になっていることだ。アンランブル・オペラといわれることが多い。
 人気のない時代にも積極的にとりあげていたベームには、多数の録音があり、映像もあるが、私は、ムーティの演奏が好きだ。ムーティには3つの映像があり、最初のザルツブルグ音楽祭と、最後のウィーン国立歌劇場(実際の上演は違う劇場のようだ)がよい。いずれもウィーンフィルの演奏だ。youtubeには、後者があるので、そちらを紹介しておく。

 映像は、ムーティのウィーン版だ。
https://www.youtube.com/watch?v=Egi7fxTEUCQ&t=9640s
 2時間半くらいから二重唱になるが、その前からみたほうがわかりやすい。

 ボリス・ゴドゥノフ
 「ボリス・ゴドゥノフ」は、ロシアオペラの最高傑作といわれてり、ムソルグスキーが作曲し、完成させた唯一のオペラである。そして、他のムソルグスキーの曲と同様、他人が手をいれたバージョンで広まった。「ボリス・ゴドゥノフ」は、リムスキー・コルサコフ版、そして、ショスタコービッチ版で演奏されていたが、最近ではオリジナル版で演奏されることがほとんどになっている。オリジナル版を広めたアバドの功績といえるだろう。
 皇帝となったボリスは、先帝の息子を殺害したという疑いをもたれて苦悩している。僧侶のグリゴーリーが、自分はその王子だったと名乗り、追われるが、ポーランドに逃れ、そこで、貴族の娘マリーナの援助を受けることになり、モスクワに進軍するが敗れてしまう。ボリスも死ぬ。
 私が紹介したい場面は、グリゴーリーが、王子ディミトリーだと名乗って、当初冷たかったマリーナを説得する場面である。
 オリジナル版の復興者であったアバドの映像がないのは残念だが、ゲルギエフが指揮した優れた映像があり、youtubeでみることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=CwBKZkPflKY
 この映像は後半部分のみなので、最初からみてもよいが、30分くらいから、この場面のマリーナが登場する。
 
 フィデリオ
 5つ目に何を選ぶか大分迷ったのだが、劇的なという意味では、やはり、「フィデリオ」かと思って選んだ。「フィデリオ」は、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」や「コジ・ファン・トゥッテ」は、あまりに不道徳だ、本当の夫婦愛を描きたいというので選んだ題材だと言われている。ピッツァロに政敵として逮捕され、地下牢にいれられて、殺されることになっている夫を救うために、男性に変装してフィデリオと名乗っている妻レオノーラが、この牢番に雇われており、死骸を埋める穴掘りを手伝わされている。そして、そこにピッツァロが現われ、いよいよ殺されかかるときに、レオノーラが妻であることを明かしつつ、ピストルをピッツァロにつきつける。そのとき、トランペットが鳴り響き、大臣フェナンドが到着し、夫フロレスタンとレオノーラは救われ、ピッツァロは逮捕される。
 ベートーヴェンは、本質的にオペラ向きの作曲家ではなかったが、なんとかオペラで成功したいと、非常な努力を重ね、フィデリオを何度も改定している。そのために、序曲が4曲も遺されていることは、よく知られている。
 この場面は、さすがに劇的表現に優れていたベートーヴェンらしく、緊迫した状況がよく表現されており、ピストルをつきつけて、トランペットがなる場面の雰囲気の展開は見事だ。
 映像は、ギネス・ジョーンズ、ジェイムズ・キング、ナイトリンガーがでている、全曲の映画バージョンだ。1時間20分くらいから、この場面が始まる。
https://www.youtube.com/watch?v=94knIqxxn4o

 5つのオペラの劇的場面を紹介したが、まだ他にたくさんあると思われる。こうしたドラマティックな場面の音楽を味わうことで、オペラの深い魅力を理解するようになると、楽しみ方もちがってくるのではないだろうか。

中学生にも麻薬汚染が2023年12月21日 19:24

 9月に大麻所持で中学生が逮捕されて話題になったが、大麻に汚染されている中学生が多数いると、テレビに対して証言した中学生が現われて、更に問題になっている。
「大麻に手を染める生徒は「沢山いる」隣の子に「見て見て」 中学生が激白、薬物がまん延する沖縄の現状」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e17fe066f14515515152079ca764db8fea2c6d14
 逮捕された生徒と同じ学校の生徒が証言したものだが、だいたいは先輩から入手し、入手すると、まわりにみ見せびらかすことが多いと語られている。つまり、違法薬物で、逮捕される可能性のある「物」だという認識が、極めて薄いようだ。
 日大のアメフト部での大麻汚染問題は、まだ泥沼状態が続いているが、社会に拡大していることが事実であるとすれば、本当に由々しき状況である。

 気になることのひとつに、大麻はたいした害がなく、煙草より安全だから、煙草が合法なら、大麻も合法にしてもいいのではないか、という見解や、大麻は医療的な効果があるので、合法にすべきという、ふたつの合法論があることだ。もちろん、意見は自由だが、合法化論には、まったく賛成できない。

 まず医療的な効果があるというのは、麻薬というものは、多くの種類のものが、治療用に、厳密に管理された中で使用されているのだから、医療的な効果があるということは事実だろう。しかし、だから、一般的な使用を合法化することとは、まったく別の問題であって、専門医によって厳格に管理された上で使うのと、一般人が、「注意書き」があったとしても、自由意志によって使用することとは、まったく意味が異なる。麻薬は麻薬であって、基本的には身体的には害があるものである。
 煙草より害が少ないという点についても、煙草自体の害が認識され、事実上多くの場で喫煙が禁止されていることを見れば、煙草もやがて、より厳しく禁止されるようになるべきであるとも考えられ、煙草より害が少ないことは、合法化の理由にはならない。
 大分前のことだが、ある心理学者が、政府の煙草審議会に参加して、そこで議論されていたことを紹介している本があった。それは、煙草を容認しておけば、政治に対する不満が弱まる、しかし、禁止すると政府に対する不満が、煙草禁止と合わせて強化されるので、合法にしておくことがよい、という理由で、煙草の禁止措置をとらないことが確認されたという。
 煙草の合法措置は、こうした市民の不満解消のためであるとすれば、大麻の合法化が行われたとしても、実はそうした意味合いかも知れないのである。

 ここでもう少し考えたいのは、世界で大麻などソフトドラッグが合法化されている国があることだ。いわゆる先進国でソフトドラッグ合法化したのは、オランダが最初だった。オランダは、バードドラッグは現在でも厳格に禁止して取り締まっており、ソフトドラッグは使用場所や量を制限して、その限りで合法化している。そして、現在でも実施されているかは、確認していないが、かつて麻薬バスを走らせていた。大麻などを希望する者が、所定の場所、所定の時間にいくと、医師が麻薬を射ってくれるのである。
 問題は、何故そうした措置をとったかである。決して、大麻が煙草より安全だから、合法化してもいいだろう、などということではないのである。当時、麻薬に関連して、深刻に恐れられていたことはエイズだった。アメリカではエイズが同性愛の行為から伝染していたといわれたが、ヨーロッパでは、主にドラッグの注射針から伝染したと考えられていた。注射器をまわしながら、ドラッグを注射していたから、そこにひとりエイズ感染者がいれば、多くの人に伝染してしまうわけである。だから、なんとか、そうした行為を止めさせるために、医師が安全に注射してあげるかわりに、それに違犯した者には、厳罰を課すという方法をとったのである。大麻は吸引する方法をとることが多いので、場所を指定して(コーヒーショップといわれる場)合法にしたのである。もちろん、麻薬バスでは、投与の量を少しずつ減らすことによって、中毒状態を治療する効果も狙っていた。
 つまり、エイズが蔓延することを防ぐために、より害の小さい方法をとったのが、オランダのドラッグ合法の目的だったのである。

 現在日本では、大麻などの合法化によって、より大きな害を効果的に減らすことができる、などという対象が存在するわけではない。かつては、犯罪組織がドラッグを扱っているのが普通だったから、合法化することによって犯罪組織の資金源を絶つという目的もありえたが、今は暴力団への取り締まりが徹底していて、暴力団が主体となって、ドラッグが拡散しているわけではなく、むしろ、「普通」のひとたちのビジネスと興味によって拡散していることがめだつ。したがって、身体的害の小さなドラッグを合法化することの社会的メリットは存在しないのである。害は小さいといっても、害であることに間違いはない。むしろ、若者がドラッグに近づかないように、可能な限りの方法を実行すべきである。

道徳教育教材の分析を始めるにあたって2023年12月22日 19:15

 私自身は、道徳教育を「教科」として、あるいは毎週特定の時間を使った「特設道徳」は必要だと思っていない。1958年に、道徳が時間設定されたときに起きた論争でいえば、道徳は教育全体のなかで行われるもので、教科としては、国語や社会のなかで、そして広く学校行事などで行われるものだと考えている。さあこれから道徳を勉強しましょう、などといって、道徳が身につくとは思えないのである。その証拠として、文部科学省や教育委員会が推進している「道徳教育研究推進校」の取り組みは、それが終わると学校が荒れるというのは、かなり頻繁に見られる現象なのである。研究推進校は、教師の内部的要請で決まるのではなく、だいたいは行政あるいは管理職の意向で決まっていく。外から持ち込まれた研究課題だから、教師たちは本心から行えないし、また、どうしても形式的になる。特に道徳教育の場合はその程度が強い。「形が揃っていること」などを強調したりしがちである。だから、決められて期間を終わると、解放感から緩んでしまうわけである。「いじめのない学校づくり」をずっとめざして、道徳教育研究推進校として活動したあと、次の年にいじめによる自殺が起きた大津の中学の事例が、その典型例であるといえる。自殺者がでないまでも、学校が荒れた事例は少なくないといわれている。
 近年、日本の企業や官庁をはじめとする大きな組織で、不祥事が続発している。官庁における統計のごまかし、国会における嘘の答弁、工事の手抜き、検査のごまかし等々。組織を動かしている人々の道徳心の欠如を感じさせることだらけである。こうした不正の中核にいる人たちは、決して学校教育で道徳教育を受けてこなかった人たちではなく、むしろ、道徳教育が強化された以降に学校教育を受けた人たちである。だから、道徳教育の無意味さを感じさせる、と私は最近まで思っていた。しかし、どうやら、そうではないような気もして、もう少し道徳教育について、教材レベルも踏まえて考察してみたいと考えるようになった。むしろ道徳教育を重視して実行させようとしている人たちのほうにこそ、問題が生じているのではないかと思うようになったのである。一番典型的なのは、現在の政府は、国民の多くが感じているように、嘘で固められている。厚生労働省の連続的な統計操作は、経済政策の真実を隠し、実態とは異なる現象を浮きだすために、政権の指示によって行われていると考えられる。ふたつの学校設立の過程をみても、同様のことがいえる。そして、この政権は、道徳教育にもっとも熱心な姿勢をずっととってきた。教育基本法の改定と、道徳教育の教科化は、この政権によってなされている。政権がこうであれば、政権の直接的影響とはいえないまでも、そうした政権を支配的に生み出している層、経営層の道徳観と連鎖していると見るのが自然であろう。
 さて、こうしたことは、研究者として考えていても、実際の学校現場では、道徳の教科書が与えられ、毎週道徳教育の時間で教え、そして成績をつけなければならない。その現実にどう対応するのか、自分たちで自由に選ぶことができるわけではない道徳教科書の内容を、どのように教えていくのか。そうした問題に取り組むことを避けることはできない。ここの試みは、そうした必要性への私なりの努力である。
 
 道徳教育は、いくつかの立場がある。
 もっとも歴史的に主流なのは、「徳目主義」である。宗教的な背景をもった道徳教育は、ほとんどが徳目主義である。道徳的な徳目を、その教材の到達目標として掲げ、その徳目を典型的な表す物語を教材として提示する。その教材を読むことによって、「ああ、嘘をついてはいけないのだ」という徳目を、心に定着させようとするものである。
 いかなる道徳教育も、徳目主義から完全に逃れることはできないといわざるをえない。社会には、守るべき規範があり、その規範は、徳目の要素となるからである。しかし、現代社会においては、いかなる徳目も、単純な形で受け入れれば、いざというときに適切に、その徳目にそって行動できるわけではない。もっとも否定しがたい徳目である「人を殺してはならない」という道徳の徳目でも、そうはいえない場面がたくさんある。
・自分が殺されそうになったときに、反撃したら相手を死に至らしめた。(正当防衛)
・耐えがたい苦痛に苛まれている人が、明確に、事前に文書をもって、安楽死を望んでいるとき、安楽死させた。
・逃亡者を殺害するように命令され、実行しなかったらお前を殺すといわれて、銃を突きつけられた状態で、殺害を強制された。
 殺人ですら、ある場合には、無罪になる事例は少なくない。まして、窃盗、嘘などは、より多様な場合があるだろう。もちろん、「結んではいけない」「うそはいけない」ということを教えるべきではないとはいえない。きちんと教えるべきである。しかし、それを教えて済ませることで、現在の道徳的な対応が可能になるわけではない。「嘘も方便」ということわざすらあるから、昔からそうだったともいえる。
 このようななかで、道徳教育の方法として、もっとも優れているのは、私はコールバーグ理論であると考えている。そして、ジレンマ教材を使った道徳教育が、現代社会において、難しい判断を可能にする能力を育てる上で、有効だろうと思う。ところが、これまでの道徳副教材や、検定道徳教科書は、単純な徳目主義に陥っている事例も多く、ジレンマ教材とはいえないものが多数である。しかし、実は、いかなる単純徳目主義の教材であっても、ジレンマ教材化して、考えさせることはできる、と私は考えている。それは、教師が、現代社会における問題を深く考察しているかにかかっているのであるが、やはり、教材解釈として、考えるポイントを研究者が示しておくことは、大切であると考える。この場は、そうした試みである。(2019.1.22)

道徳教材分析 手品師12023年12月22日 19:19

有名な道徳教材であり、私が学生の教育実習の研究授業で何度かみたものでもある。子どもたちも活発に意見をいえる一方、教師がどのようにまとめるのか、子どもたちの発達段階との兼ね合いで、けっこう難しい教材でもある。
小学校で行われた研究授業で出た意見と、実際に大学生に概要を話してだしてもらった意見とは、かなりの隔たりがあった。コールバーグ理論のある意味、よい検証の材料にもなる教材である。

 まずテキストを確認しておこう。(次の文章は、大阪府のホームページで公表されている資料から転記した。http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/9723/00000000/syougattkou2.pdf )

            手品師

 あるところに、うではいいのですが、あまり売れない手品師がいました。もちろん、くらしむきは楽ではなく、その日のパンを買うのも、やっとというありさまでした。
「大きな劇場で、はなやかに手品をやりたいなあ。」
 いつもそう思うのですが、今のかれにとっては、それは、ゆめでしかありません。それでも手品師は、いつかは大劇場のステージに立てる日の来るのを願って、うでをみがいていました。
 ある日のこと、手品師が町を歩いていますと、小さな男の子が、しょんぼりと道にしゃがみこんでいるのに出会いました。
「どうしたんだい。」
 手品師は、思わず声をかけました。男の子は、さびしそうな顔で、おとうさんが死んだあと、おかあさんが、働きに出て、ずっと帰ってこないのだと答えました。
「そうかい。それはかわいそうに。それじゃおじさんが、おもしろいものを見せてあげよう。だから、元気を出すんだよ。」
と言って、手品師は、ぼうしの中から色とりどりの美しい花を取り出したり、さらに、ハンカチの中から白いハトを飛び立たせたりしました。男の子の顔は、明るさを取りもどし、すっかり元気になりました。
「おじさん、あしたも来てくれる?」
 男の子は、大きな目を輝かせて言いました。
「ああ、来るともさ。」
 手品師が答えました。
「きっとだね。きっと、来てくれるね。」
「きっとさ。きっと来るよ。」
 どうせ、ひまなのからだ、あしたも来てやろう。手品師は、そんな気持ちでした。
 その日の夜、少しはなれた町に住む仲のよい友人から、手品師に電話がかかってきました。
「おい、いい話があるんだ。今夜すぐ、そっちをたって、僕の家に来い。」
「いったい、急に、どうしたと言うんだ。」
「どうしたもこうしたもない。大劇場に出られるチャンスだぞ。」
「えっ、大劇場に?」
「そうとも、二度とないチャンスだ。これをのがしたら、もうチャンスは来ないかもしれないぞ。」
「もうすこし、くわしく話してくれないか。」
 友人の話によると、今、ひょうばんのマジック・ショウに出演している手品師が急病でたおれ、手術をしなければならなくなったため、その人のかわりをさがしているのだというのです。
「そこで、ぼくは、きみをすいせんしたというわけさ。」
「あのう、一日のばすわけにはいかないのかい。」
「それはだめだ。手術は今夜なんだ。明日のステージにあなをあけるわけにはいかない。」
「そうか・・・・・・。」
 手品師の頭の中では、大劇場のはなやかなステージに、スポットライトを浴びて立つ自分のすがたと、さっき遭った男の子の顔が、かわるがわる、浮かんでは消え、消えてはうかんでいました。
(このチャンスをのがしたら、もう二度と大劇場のステージに立てないかもしれない。しかし、あしたは、あの男の子が、ぼくを待っている。)
 手品師はまよいに、まよっていました。
「いいね。そっちを今夜たてば、明日の朝には、こっちに着く。待ってくるよ。」
 友人は、もうすっかり決めこんでいるようです。手品師は、受話器を持ちかえると、きっぱりと言いました。
「せっかくだけど、あしたは行けない。」
「えっ、どうしてだ。きみがずっと待ち望んでいた大劇場に出られるというのだ。これをきっかけに、君の力が認められれば、手品師として、売れっ子になれるんだぞ。」
「ぼくには、あした約束したことがあるんだ。」
「そんなに、たいせつな約束なのか?」
「そうだ。ぼくにとっては、たいせつな約束なんだ。せっかくの、きみの友情に対して、すまないと思うが・・・・」
「きみがそんなに言うなら、きっとたいせつな約束なんだろう。じゃ、残念だが・・・また、会おう。」
 よく日、小さな町のかたすみで、たったひとりのお客さまを前にして、あまり売れない手品師が、つぎつぎとすばらしい手品を演じていました。
    出典 小学校 道徳の指導資料とその利用1

 私が教育実習の研究授業でみた授業は、大阪府が掲載している授業の流れの案に非常に近いものだった。だいたい「公認授業モデル」なのであろう。ポイントとして、4点が書かれている。
1 男の子に明日も来ることを約束する→きっと来るよと約束したのは、どんな気持ちからでしょう。
2 仲のよい友人から電話がかかる→友人から誘いをうけたとき、手品師はどんなことを考えたでしょう。
3 受話器をもちかえて、きっぱりと断る→なぜ友人からの誘いを断ったのでしょう。
4 たった一人の客の前ですばらしい手品を演じる→どんな気持ちで手品をしているのでしょう。
 そして、手品師の迷いに関して、
・先にした約束は断れない
・自分の夢よりも子どもを元気づけることを優先したい
・人を喜ばせる仕事をしたい
という気持ちを確認する。(以上大阪府資料より)

 おそらく、ここで、約束の大事さを確認するということだろうし、また、実習生もそういうまとめをしていた。そのときに、子どもたちに、手品師の行為を肯定するかどうかを確認したら、ほとんどの小学生たちは、肯定するだろうと思う。
 しかし、大学に戻って、このことを話して、学生たちに、この手品師の行為を肯定するかどうかを聞いたところ、半数以上は、肯定しないほうに手をあげたのである。私の授業は、「教育学概論」であるが、教職をめざしている学生はほぼ全員が履修しているので、将来先生になろうと思っている学生たちの見解といってよい。しかし、彼らもまた、実習生としてこの教材をとりあげたら、おそらく、この資料集のような授業をするのかもしれない。
 この教材については、かなりたくさんの授業研究がインターネット上に掲載されているし、雑誌の特集もあるが、その検討はあとにして、実習生の研究授業と、その後の大学生たちの反応とを踏まえた考察をここで行い、現場の授業研究の検討は、次の機会にしたい。

<ジレンマ教材としての「手品師」>
 「手品師」という教材は、「徳目主義」的教材としては、「約束を大切に」という価値を教えるもので、かなりストレートに結論に至るように、「公認手引き書」では構成されている。しかし、大学生だけではなく、実は、私がみた研究授業でも、そうした結論のもっていきかたに異論を唱えた子どもがいた。「友人との約束もあったんじゃない?」という趣旨の発言だったが、残念ながら、実習生は、「そうだね」といいつつ、その意見をその後はまったく無視してしまい、予定通りの進行をさせていた。この教材を「約束の大事さ」を教えるのが眼目だとしても、「約束はふたつあり、それが相いれない形で現れている」内容になっている。まだ、学年が下だったり、あるいは、表面的に読んでいたり、教師のいうことをそのまま受け取る子どもたちであれば、「公認指導」のままに受け入れていくだろうが、実際に私がみた授業でも、そうではない指摘をする子どもがいたのである。
 つまり、この教材は、ふたつの両立しがたい「約束」をどう考えるのかという点でこそ、扱う価値のあるものなのだといえる。
 更に大学生になると、プロとしての手品師の「生き方」を考えざるをえなくなる。
Q1 電話がきたとき、何故迷ったのか。
 この回答は簡単である。男の子と約束をしていたから。
Q2 この相いれない「約束」を「回避する」方法はあったのか。
Q3 友人の申し入れを受け入れて、なおかつ、子どもとの約束を尊重する方法はあるか。
 少なくとも大学生からは、Q2とQ3の回答は、いくつか出てくる。
A2
「おじさんはね、手品師の仕事がいつ舞い込むかわからないので、万が一今日の夜にでも話があったら、明日来られないかもしれないけど、でも、1週間後なら、大丈夫だから。」
「(同)、もし来られなかったら、別の日に**に電話をくれないか。」
「(同)、君に連絡する方法はあるかい?」
 この点については、時代も関係するだろう。今の子どもたちは、多くがスマホをもっているから、スマホをもっている前提で、「こっちから電話するよ、(メールするよ)」相手がもっていなければ、公衆電話で、電話してくれれば、事情を話して、別の日の約束をすることが可能だと確認をする。
 このようなことをすれば、Q3の回答にもなっているわけである。
 学生のなかには、仕事と子どもとの約束を比較して、大事なのは仕事だと割り切る者も少なくない。とりあえず、仕事をとって、後日男の子をさがして、事情を話せば分かってもらえるのではないかと考えるわけである。小学生では、「仕事」についての感覚はあまりないが、大学生は間もなく就職する身だから、当然仕事重視になる。近年、キャリア教育をさかんにしている以上、こういうテーマで「仕事」を無視することは、道徳教育としても、不十分といわざるをえない。
 したがって、この教材をもっと読み込むと、手品師の「プロ意識」を考えざるをえなくなる。
 出だしの文章が、「うではいいが、売れない手品師」となっている。どうやら、何かの団体に所属しているわけではなさそうだから、フリーランサーとしての手品師なのだろう。ということは、常に仕事依頼に対してアンテナを貼っていなければならない。しかし、この手品師は、そこに甘さがある。この甘さが、男の子に「明日の来て」とせがまれたとき、すぐに承知をしてしまい、「どうせ、ひまなのだから」と、自分を納得させている。皮肉なことに、その後すぐに友人からの依頼があるわけだが、もし、仕事依頼があることに、アンテナ意識があれば、子どもとの約束の際にも、「もしも」のことに備えるはずである。そういう意識が欠けているがために、「売れない」手品師になっている。
 
 次は「約束」の二重性である。実習授業での子どもの発言でわかるように、約束は、男の子とだけではなく、友人ともしていたわけであり、「約束を守る」ことの大切さであれば、友人との約束を軽視していいのかと当然疑問をもつはずである。友人に、「何かいい仕事があったら紹介してよ」「うん、いいよ、そのときには、真っ先に君を推薦しておくから」というようなやり取りを、この手品師と友人はしていたはずであり、だからこそ、それを友人は実行したのだろう。急だったから、手品師の都合を聞かずに推薦していたわけだが、それは急の話だから仕方ないといえよう。「約束の大事さ」を強調しながら、こちらの約束を無視してもいいはずはない。

 以上まとめれば、この教材には、3つの対立要素が存在していることがわかる。
 「男の子との約束」「友人との約束」「仕事をする者としての姿勢」
 子どもは多様だとしても、5年生6年生であれば、しかも、キャリア教育を受けている学年であれば、この3つの要素すべての大切さを認識すること、この物語では、両立できない形で処理されているが、別の可能性として、つまり、手品師の姿勢として、両立可能な方法があることを理解できるはずである。
 手品師が「売れない」状態から、「売れる」ようになるためには、何が必要なのか。
 それを普段から実行していれば、男の子との約束が、どのような形になったか。
 約束をより柔軟な形にしておけば、友人からの依頼を受けることができたが、その際、次に何が必要であったか。
 こうしたことを考えさせたとき、この教材はもっと興味深い教材になっていくと思う。(2019.2.17)

閉鎖したブログからの転載を随時します2023年12月22日 19:19

 私はこれまで、さくらネットでブログをしてきたが、不具合になったのでこちらに復帰した。かなり長くさくらで書いていたが、ブログ自体が読み書き不能になってしまったので、過去のものを順次こちらに転載していくことにした。過去の日付が入っているものは、さくらのブログからの転載です。

アシュケナージのこと12023年12月24日 21:00

 今年はこれまでまったくCDを購入しなかったのだが、アシュケナージの室内楽総集編がでることを知って、今年最初のCDの買い物として、アシュケナージのボックスを注文した。ソロと室内楽だ。以前協奏曲がでていて、これは購入していて、けっこう聴いていたのだが、まだ注文の品がこないので、いくつか協奏曲を聴いてみた。ラフマニノフの4曲とパガニーニ狂詩曲がはいっている2枚を聴いた。バックはハイティンクとコンセルト・ヘボーだが、これまで聴いていた他の演奏とはちょっと違う感じがした。ゆったりと穏やかで、余裕がある感じというところか。
 アシュケナージとハイティンクは、他にも共演していて、ベートーヴェンの協奏曲の全曲映像版もはいっている。アシュケナージがかなり若いころのものだが、すでに大家の風格がある。
 アシュケナージとハイティンクは相性がいいのかは別として、ふたりの演奏家としての姿勢には、共通点がある。それは、「全集魔」ということだ。とにかく、ふたりは「全集」をたくさんつくっている。ハイティンクは、すべてはわからないが、ベートーヴェン・ブラームスなどは当たり前のこととして、ショスタコーヴィッチの全集をつくっている西欧の指揮者としてはめずらしい。ブルックナーとマーラーの両方の全集を録音しているのは、ほかにインバルとマゼールくらいではないだろうか。指揮者は、ブルックナー派とマーラー派に別れるところがあって、だいたいどちらかに偏っているものなのだが。作品を神に捧げたブルックナーと、死を描き続けたマーラーとでは、指揮者にとって水と油なのかも知れない。
 アシュケナージも、とにかく、全集が多い。著名作曲家のピアノ協奏曲は、モーツァルトも含めて録音しているうえに、ショパンの個人全集やシューマンもほとんど録音している。さらに、パールマンやシフと組んで、バイオリンソナタ、チェロソナタ(ベートーヴェン・ブラームス)そして、ベートーヴェンやシューベルト他のピアノトリオまで全集やそれに近く録音している。これほど多彩なジャンルで、全集を録音しているピアニストは、他にまずいないと思われる。以前は、ベートーヴェン弾きとショパン弾きはかなりはっきりわかれていたが、アシュケナージは、その双方の全集をつくっていることが驚きだ。そしていずれもが、トップレベルの出来ばえだ。
 
 これだけたくさんの録音をしていると、いかにも粗製乱造という危惧があるが、アシュケナージに関しては、がっかりするようなできの録音は、少なくとも私が聴いたなかでは皆無である。他方、ポリーニのように衝撃をあたえる演奏はない。ポリーニが長い沈黙のあと、演奏活動に復帰して、ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」、ショパンの「演習曲集」、そして、ベートーヴェンのハンマークラビアをだしたときに、音楽界に与えた衝撃は、いまだに覚えている。吉田秀和が、ショパン練習曲集レコードの帯びにつけたコピー「これ以上何をお望みですか」というのは、聴いた人みなが、ほんとうにそうだと思ったものだ。
 だが、ポリーニは、そういう衝撃をあたえ続けたために、衝撃を期待する雰囲気が強くなり、次々に録音をだすことはなかった。そういう意味でアシュケナージとは対照的な、しかし、20世紀後半を代表する二人だったことは間違いない。(ふたりともまだ現役だが、全盛期はやはり20世紀だった)

 ハイティンクと似ているのは、全集魔ということだけではない。音楽の解釈に奇をてらったところがなく、非常に素直な音楽つくりをすることも似ている。そして、最高度のテクニックをもっているために、作曲家が求める音楽を、アシュケナージは、まったく無理なく表現できる。だから、かなり多様な作曲家の曲を、全集として録音していても、みな同じようなアシュケナージになるのではなく、それぞれの作曲家によりそう演奏になっている。

 私が協奏曲ボックスを購入したのは、実はある一枚が聴きたかったからだった。その一枚は単体では当時入手できなかった。それはアシュケナージがショパンコンクールで2位になった記念で録音された2番の協奏曲だった。周知のように、このときの2位は実際には一位で、当時のショパンコンクールの審査を支配していた政治的思惑で、2位になっただけで、だれもが1位だと思っていたらしいし、そして実際その後の活躍からしても、それははっきりしていた。大分前にFMでこの演奏を聴いて、そのあまりのすばらしさにいつか購入したいと思っていたのだが、どういうわけか、ショパンコンクールの優勝者は、その後ショパンの協奏曲を録音しないような傾向があって、実際にアシュケナージもポリーニも、ライブで演奏はしても、録音はしていない。
 2番はその後、ポリーニのすばらしいライブに接して、どうしてもいい演奏がほしくなり、アシュケナージのボックスにはいっていることを確認して、購入したのだった。(ポリーニは2番をまったく録音していない。その後何度もきいたが、やはり、すばらしい。2番の2楽章は、ピアニストの音楽性が、はっきりとでる曲だ。50年代の録音だから、古いのだが、音はすばらしい輝きでとらえられている。コンクールの優勝者が、大家になって録音しないのは、あのような曲は青春時代だからこそ、味がだせるという感じがあるのだろうか。 (2023.8.28)

アシュケナージのこと22023年12月24日 21:00

 アシュケナージのソロ集が届いて、けっこうな枚数聴いてみたが、あらためて、この曲はこう弾かれるべきものだ、という確固たる安定感があることに気がつく。それは、ベートーヴェンでも、シューベルトでも、シューマンでもそうなのだ。特別に個性的な演奏ではない、というより、そういうことをまったく志向しない、ごく標準的な解釈で、充分に音楽として感動できるのだ、という姿勢だろうか。
 しかし、実は、これは、かなり努力して獲得したことであることは、あまり知られていないかも知れない。アシュケナージは、子どものころにピアノを習い始めて、教師にいわれたことで、できないことというのが、なかったのだそうだ。それは自分で語っている。ポリーニも、自分には技巧的に難しくて弾くことが困難だ、だから技術的な克服のために練習する、というようなことは一切ないと断言していた。だから練習とは、テクニックのことではなく、あくまでも作曲家と向き合い、ただしい解釈を獲得するためのものだといっていた。アシュケナージにとっても、似たような状況だったのだろう。しかし、ソ連の音楽というのは、やはり、西欧の音楽とはかなり違う。だから、ソ連やロシア人の演奏家で、ベートーヴェンもモーツァルト、ブラームスを得意とする、あるいは、誰をも納得させるような演奏をする人は、実に少ない。ソ連、ロシアのピアニストで、ベートーヴェンのソナタ全曲録音をした人は、いないのではないだろうか。キレリスは、めざしていたようだが、完成していないし、リヒテルやホロビッツは、ベートーヴェンを幅広く演奏するという姿勢ですらなかった。ホロビッツのベートーヴェンは、私には、かなり違和感がある。
 そういう雰囲気のなかで育ち、教育をうけたアシュケナージが、亡命して、西欧に帰化して、西欧の演奏家として出発したとき、自分の音楽感覚では、ベートーヴェンやバッハ、モーツァルトを演奏できない、あるいは正しいとはいえない解釈になってしまうということに気づき、基礎から勉強しなおしたという。これは、このソロ録音集の解説のなかの文章で紹介されているが、前にも雑誌のインタビューで読んだことがある。既に世界的な大家ともいえる存在になっていたにもかかわらず、基礎から勉強しなおした、というところに、アシュケナージの芸術家としての姿勢、良心がはっきりと現われている。

 学ぶことが好きなのだ、ということもあるにちがいない。まだバリバリのピアニストだったときに、地元のアマチュアオーケストラの指揮をしていたのだそうだ。それで次第にオーケストラの指揮に興味をもち、これもそうした時期から本格的に勉強をして、ピアノ協奏曲を自分で指揮するなどからはじめて、指揮活動を広げていく。これもかなりの勉強が必要だったろう。
 こういう姿勢は、やはり、極めて希有のことなのではないだろうか。
 世界のトップクラスの演奏家として認められていながら、かなり基礎に立ち返って勉強しなおした人というのは、ルービンシュタインを思い出す。まだ戦前のことだが、ホロビッツが西欧に進出し、当時、実力と人気で他を圧倒していたと思い込んでいたルービンシュタインが、ホロビッツの演奏を聴いて、打ちのめされてしまったのだという。もちろん、それでルービンシュタインの人気が奪われるものではなかったろうが、ルージンシュタインは、自分の奢りに気づき、テクニックの勉強をやりなおしたのだという。そして、戦後のショパンの第一人者としての地位を確立していったわけである。ルージンシュタインは、自分も、また他のピアニストも、冷静かつ客観的にみることができ、自分に足りないものがあれば、率直にやりなおすことができた人なのだろう。
 アシュケナージも、そういう最良の素質を同じようにもっているように思われた。それが、当初はぎこちないと思われていた指揮活動でも、すでにトップクラスの指揮者となっている。しかし、当初はオーケストラのひとたちからも、半信半疑のような扱われ方をしていたらしい。たしかボストン交響楽団に客演したとき、リハーサルの最初が、弾き振りのモーツァルトの協奏曲だったのだが、あるオーボエの演奏に注文をつけたのだが、奏者があまり納得していない風だったので、アシュケナージが、「いまあなたはこのように演奏したのだけど、こういう風にやってほしいのです」といいながら、ピアノで、オーボエ奏者の演奏を模倣し、それからやってほしい表情をピアノで弾いてみせたというのである。それが、実にリアルにオーボエ奏者の演奏にそっくりにピアノで表現してみせたので、オーケストラのメンバーがびっくりして、それ以来、指揮者としてのアシュケナージを信頼するようになったというのだ。もちろん、まだそのときには、指揮ぶりや言葉で、やってほしい音楽を表現して伝えることは十分でなかったのだが、音楽そのもののイメージは明確にもっていることがわかったということだろう。そして、もちまえの熱心な勉強姿勢で、指揮者としてのテクニックを身につけていったのだろうと思う。私は、まだアシュケナージ指揮のCDはもっていないのだが、youtubeやテレビでは何度もみている。おそらく、デッカとして室内楽篇の次に、指揮者篇をだすのだろう。そのときには、やはり購入してしまいそうだ。

 最後に、具体的にはかかないが、アシュケナージの若いころまでのことを書いた著作を読んだことがある。借りた本なので、手もとにないから詳細は忘れてしまったのだが、そこに、亡命の経過があった。外国の演奏旅行にでるときには、かならずKGBの担当者が二人ついて監視するのだそうだ。そういう体制に嫌気がさしたのだろう、亡命をするわけだが、常に監視されているなかでの亡命だから、かなりの準備が必要であり、また危険な行為だ。それを読んで、ソ連で芸術家がおかれた環境(すべてが悪いわけではない。才能があれば、最高の教育をうけられる)を理解する上でも有益な情報だった。(2023.9.6)