被選挙権は選挙権より厳しい制限があるのでは?2007年07月25日 22:17

 今回の参議院選挙はいろいろと不思議なことが起きる。元ペルーの大統領という国家元首にあったひとが、日本国籍をもっているとかで、日本の選挙に立候補している。もちろん、参政権は日本では、日本国籍を有するものだけがもっているので、通常は外国の国家元首であった人が日本の参政権をもつはずがない。国際法の原則では、特別な例外がない限り、国籍はひとつしかもつことができないからである。もちろん、日本は二重国籍を原則として認めている国ではない。外国で属地主義を認めている国家で誕生したために、二重国籍をもっている人は、成人したときに、国籍を選択することが必要である。たとえフジモリ氏が、誕生したときに日本国籍を保有する手続きをとっていたとしても、成人したときに選択する必要があったのだし、また、それに気づいたときに選択させる義務が国家の側もあったはずである。しかし、日本政府は欺瞞的にもフジモリ氏の日本国籍を認めて、また、更に今回の立候補を認めているらしい。日本で生まれた混血児に、あれほど冷たい日本が、このような措置をとるとは本当に情けない感じがある。
 しかし、今回の選挙では別のひどい事例が出現した。元アナウンサーだった自民党の候補が、選挙権がないのだという。アメリカ赴任から帰国したあと、住民登録をしなかったために、選挙権がなく、今回期日前投票をしようとして、わかったというおそまつぶりである。あわせて住民税の滞納疑惑が起こったが、これは納めたとされる。これも実は疑問である。雇い主だったテレビ局が源泉徴収していたかも知れないが、一体どの自治体に源泉徴収していた税金を納めたのだろうか。雇用者の住所録にのっている自治体に払ったとして、自治体側は受け取ったのだろうか。住民でない人の税金をそのまま受け取るというのがおかしいではないか。残念ながら、マスコミはそういうことをきちんと調べた様子がなく、テレビ局の源泉徴収した書類でなっとくしたようだが、同じメディアだから、追求が鈍ったと批判されても仕方ないだろう。いずれにせよ、おかしな現象なのだ。
 それはここではおくとしよう。
 選挙権のない人がなぜ被選挙権があるのか。ここがどうもわからない。もちろん、国政選挙だから、住んでいなくても立候補できるというのはわかる。しかし、それはどこかに住所があり、その住民登録を通して、戸籍の確認ができ、日本人であることを確認できるというのが原則だろう。しかし、某候補の場合には、住民票がないのだから、戸籍等の確認も、「正式書類上」はできないはずだ。また、某候補の場合、外国の赴任地での住民票をたぶん抜いているだろうから、つまり、世界のどこにもいない人間であった可能性がある。そうすると、外国からの立候補というのもできないはずだ。もちろん、過去の記録から、某候補が日本人であり、日本に住んでいることは誰でも知っているといってよい。しかし、それにもかかわらず、選挙権はないとされたのだ。もちろん、あわてて住民登録したろうが、それでは間に合わず選挙権がないのだ。ではなぜ、被選挙権はあるのか。
 もちろん、法律的には説明がつくのだろう。ここでいっているのは、法律の解釈ではない。法律以前の「良識」の問題として、その人の立候補が認められるのは、おかしいのではないか、ということである。いくらなんでも、こんな候補者が当選しないことを祈るのは、あたりまえのことだろう。