PTAからの卒業記念2024年03月08日 21:31

 PTAから卒業生に記念品を贈る慣習は、いまでも残っているようだ。大分前(10年以上前)に、大きな議論になったことがあった。それと同じ議論が繰り返されているのだが、その結論に関しては、多少の力点の変化が起きているようだ。
https://mainichi.jp/articles/20240227/k00/00m/040/333000c
 議論というのは、PTA会員でない保護者の子どもにも、卒業記念を贈る必要があるか、あるいは逆に贈らないのは差別ではないか、というようなことだった。これは、PTAが事実上、入会義務があるように思われ、実際に全員が会員となっている場合には、起きない議論である。しかし、PTAは任意団体であり、必ずしも入会する必要はないことが、次第に認識されるようになると、会員にならない保護者が出てくる。そうしたなかで、PTAとして、卒業生に贈る記念品を、会員ではない保護者の子どもを対象にするかは、当然議論になってくる。というのは、記念品は当然のことながら、PTA会費から出されるから、会費をだしていない人に贈る必要はないという意見が出てくることになる。しかし、親がPTAに入るかどうかは、子どもの意志ではないし、それによって、学校における対応が異なってしまうのは、当然教育の場としてはふさわしくない。だから、親の問題を子どもに向けるなという意見が出るのもまた当然といえる。
 今回は、この議論が再燃しているのは、おそらく、当初会員にならない保護者は少数だったので、非会員の子どもに贈っても、大きな負担にはならなかったが、次第に加入者が減ってくると、PTAとしての負担が目に見えてくるという事情があるのではないだろうか。
 今回、この記事に対するコメントをみると、圧倒的に、会費を出していない保護者の子どもに、記念品を贈らないのは当然である、なぜもらえないかについて、親が子どもにきちんと説明すべきである、というような意見が多かった。

 さて私は以下のように考える。
 第一に、そもそもPTAがこのような記念品を贈る必要があるのかということだ。日本のPTAの歴史は、多くの場合、学校の財政的援助の歴史だった。もちろん、ある時期から、日本の学校は、国際的にも設備、備品などが豊富になっているから、PTAの援助があてにされることはほとんどなくなったといえるが、戦後の貧困状態で新制の義務教育制度が始まって以来、PTAは学校の教育条件を整えるのに、大きな役割を果した。全国のプールの多くは、PTAの寄付でできたともいわれるくらいである。そのために、会費や随時寄付が集められたのである。卒業生への記念品も、そうした一環として行われたといえるだろう。少なくとも、PTAに対して、そうした学校の経済的援助団体と考えることは、適切ではないし、もし、そうした使われ方がしているならば、会費そのものを減額すべきだろう。私は卒業記念品などは不要だと思うのだが、もし、保護者や子どもたちのほとんどがそれを望むのならば、PTAが事務処理を行うとしても、別途その費用を徴集して購入・配布するのがよい。その場合、敢えて望まない場合には、贈る必要もないだろう。その場合には、贈り物を欲するかどうかを選択したのだから、不公正などということはないだろう。
 第二に、PTAの最大の問題は、PTAが保護者全員の意志集約を行って、学校の運営に対して発言する権利をもっている団体ではないという点である。もちろん、保護者だけではなく、生徒も、代表を送って、運営に対する発言権をもっている国は、いくらでもある。その場合、当然その団体は原則的に全員加盟制度であるが、多額の会費をとったり、その人の日常生活にとって負担になるような仕事をしなければならないということはない。日本のPTAの活動は、多くが学校が開かれている時間帯に行われるが、そうした国では、保護者の活動は夜に行われる。
 日本では、教育委員会が指定することによって、外部の人間が学校に対して発言権をもつ運営協議会を設置することがあるが、ここに保護者の団体の代表が参加するわけではない。保護者が参加していたとしても、それは個人として指名されたからであって、保護者団体によって送り出されるわけではない。もし、PTAがそうした発言権をもち、代表をきちんと選んで送り出すようにすれば、日本の学校運営も変ると思うが、そもそもPTAは、保護者の団体ではなく、教師も形式的にははいっているからは、保護者の意志を集約する会ではないのである。
 日本の学校運営は、教育行政当局によって、上からの管理統制が基本になっているから、(そうではないように、ある意味変わっている面もあるが)困難ではあるが、やはり基本的には、構成員が意志を集約し、運営に関わる権限をもつことが、学校をよくするためには必要なのである。

小学校の卒業文集廃止の動きについて2024年03月14日 21:52


 確かに、これまでは卒業文集なるものを作成するのが普通だった。少なくとも小学校においては。中学校や高校ではなかったと思うし、大学では当然ない。しかし、小学校でも卒業文集を廃止する動きがひろがっているのだそうだ。
「小学校で広がる 「卒業文集」廃止の動き 背景に先生の業務過多も保護者たちの反応は?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d199210f44f58bc44436695de04f3a856d05ffc5

 結論からいえば、廃止はごく自然なことだと思う。
 私が大学を定年で退職したのはコロナが拡大し始めた2020年だが、その時に、学部で独自に作成していた卒業アルバムの作成を止めた。大学が作成している卒業アルバムはつづいていると思うが、私の学部では学部独自のものが中心だった。何故、止めることになったかといえば、ほしがる学生が極めて少なくなったからである。当然欲しい人だけに配布するので、有料である。しかし、お金をとられるよりも、そもそもアルバムという存在に、あまり関心がなくなっていることを感じた。彼等にとって、写真はアルバムなどでみるものではなく、スマホの画面でみるものなのだ。お互いに親しい者同志が写真をとりあって、それをスマホに入れておくほうが、写真を保存してみる上では、ずっと便利である。だから、わざわざ重い紙に印刷されたアルバムなど欲しくないのだ。

 若い世代ほど、紙媒体よりはデジタル媒体で処理することに慣れているし、そのほうが便利であることを感じている。だからアルバムにせよ、文集にせよ、若い世代と中年以上の世代とは感じ方。が違う。紙に印刷された媒体ではなく、ネット上、あるいはパソコン、スマホに残された形で保存するほうがしっくりくるという感覚である。そういう世代が育っているのだから、そうした感覚に合わせて、「思い出」の形も変えていけばよい。
 ただ、記事になっている卒業文集の廃止は、そうした子どもたちの感覚の変化に応じたものではなく、あまりに過重な労働を強いられている教師たちが、更にたいへんな時間と労力が必要な卒業文集の作成から逃れたいという願望が原因である。ということは、受け取る側の感覚と、作成する側の願いとが一致することになる。だから、自然な流れだと思うのである。

読書ノート『国体の本義』2024年03月19日 21:34

 五十嵐顕著作集準備のために、様々な本を読んでいるが、『国体の本義』もその一環であった。五十嵐は、戦争をどうして防ぐことができなかったのか、とずっと問い続けたわけだが、『国体の本義』は、国民の意識をどのように形成してきたのかを探る上で、非常にわかりやすい文献であるといえる。もちろん、この本によって、新たな国民形成が行われるようになったというよりは、それまで営々と築いてきた国民教化の内容を体系的整理して示したものだろう。
 最初に「大日本国体」という章では、建国神話が書かれ、日本は国土ができてからずっと神代から天孫降臨し、天皇が一貫して統治してきた歴史として描かれ、様々な外来思想(仏教、儒教、西洋文化等々)が学ばれたが、日本的な「和」の精神で日本化してきた。つまり、国体とは、現人神たる天皇が統治していることであり、これは永遠のものだと強調している。
 その後、建国神話から飛鳥、そして明治に到る歴史の概略が示されるが、常に天皇中心に描かれている。
 そして後半は、明治移行流入した西欧思想の合理主義、個人主義、自由主義、社会主義等々が、日本の国体にはあわない表面的な思想であると批判される。そして、五カ条の御誓文や教育勅語等々の理念が示され、明治天皇の和歌によって、日本精神が示される。

 私は、主に欧米の教育制度を研究対象にしてきたので、『国体の本義』の全文を読んだことがなかった。ただ、内容そのものはまったく目新しいものではなく、さまざまな文献に示されているから知っていることばかりだったが、こうしてまとめて読んでみると、一番不思議に感じたのは、この文章を書いたひとたちの精神状況は、どんなものだったのだろうかということだった。もちろん、『国体の本義』編纂のために集められたひとたちは、当時において知的レベルの高いひとたちだったはずであり、たとえば、吉田熊治などは、当時最も権威のある教育学者だった。現在でもある程度影響力のある和辻哲郎もはいっている。だから、書かれていることについての現実的妥当性については、間違いなく正確に判断できるひとたちであろう。しかし、ここに書かれていることは、間違いなく神話的創作であり、事実とはまったく異なることが、古代だけではなく、明治に到るまでいたるところに書かれている。
 万世一系の天皇がずっと日本を統治してきたという歴史が書かれているわけだが、古事記と日本書紀によって建国が書かれて、それは「事実」として扱われている。もちろん、筆者たちは、それを歴史的事実として認識していたのでないことは明らかであるから、なんらかの形で、「事実としての歴史」を学校で教えることについて、考えるところがあったはずである。
 国民を二つに分け、真実を教える上層と、真実など知る必要がないとする下層のものに応じた対応であると割り切ることはできたとしても、それならば、この『国体の本義』全体として流れる、天皇の前にはすべての者が平等で、「和」の精神で協調する存在であるという建前に反することになる。

 歴史的事実に反することも相当書かれている。天皇が万世一系ということが、血筋が継続しているというだけではなく、平和的に系統がつながって生きたことも含意していたわけだが、当時ですら、壬申の乱、保元・平治の乱、鎌倉後期の二つの系統の相剋と妥協、南北朝の対立など、天皇の内部的争いは何度も生じてきたことは、知られていたはずである。
 また、日本人は、主人に対して忠実であることが、歴史的に常に実現していたかのように書いているが、源平対立、鎌倉末期から室町前期、そして戦国時代は、裏切りや下克上は珍しくなかったことも周知の事実である。

 明治以前の歴史は、かなり史実に反することが書かれており、そして、それは筆者たちも認識していることだったろう。
 『国体の本義』が作成されたのは、天皇機関説事件のあと、国体明徴が宣言され、その実質化として、教育をとおして、国体の認識を徹底させることが目的だったから、当然、天皇絶対の価値観、西欧的価値観の排撃が大前提だったから、執筆者としてのメンバーに入ることを承知した時点で、神話的歴史が書かれ(当時の国定教科書はその立場で書かれていた)、自由主義、社会主義、合理主義などが、否定されることは明白であった。それを承知での参加だから、悩むことなどなかったのだろうか。
 紀平正美のような国体積極肯定論者は、矛盾を感じないのかも知れないが、吉田熊次や和辻哲郎が、疑問を感じなかったはずはない。
 次の課題として、心底時局に迎合していたわけではないが、『国体の本義』の編纂に参加していたひとたちの著書で、何か書かれているかを探してみることにしよう。

大谷最大のピンチ?2024年03月22日 21:40

 韓国におけるドジャースの開幕戦の最中に、とんでもないニュースが流れ、多くのニュース番組がこの問題に覆われた感じすらあった。ニュースで詳しく報じられているので、内容には触れないが、最大の問題は、水原氏の説明の逆転の真実と、それによって、大谷自身が水原氏を援助したのかということに尽きるだろう。とくに、大谷が罪に問われるのか、大リーグにおいてなんらかのペナルティを課されるのかということである。
 大谷自身が賭博そのものを行ったわけではないことは、確実であるといってよいだろうから、ピート・ローズのような永久追放などということにはならないだろうが、逆に、単に大リーグが禁止しているという意味での賭博に関わったというレベルではなく、違法賭博だから、刑事罰を課せられるような事態がありえないわけではない。そうなれば、間違いなく大リーグからの追放となるに違いない。情報は錯綜しているので、何が事実であるかは、現時点では誰にもわからないのだろうから、大谷にとって、マイナス面がないように進展することが望まれるが、しかし、それにしても、考えさせられる事件であると、多くの人が感じたことだろう。

 大谷は、とにかく野球に人生をかけ、野球の向上のために、生活のすべてを企画実行してきたことで知られている。しかし、そのことは逆に、通常の社会的な常識や知識が欠けているかも知れないと思わせることがある。それでも、通常は道をはずすことはないだろうが、あれだけ若く、お金をもっている人間には、悪意をもって近づくものが多いことも、世の常だ。悪いことでは決してないが、お金の使い方には、常識外れなところがある。自分に背番号を譲ってくれた選手夫婦に、何かお礼の贈り物をするのが慣行だというが、ポルシェをプレゼントしたというのは、かなり驚きをもって受け取られた。いろいろなところに多額の寄付もしているらしい。そのことは、通常は称賛の気持ちをもたれるのだろうが、しかし、そうした金銭感覚を利用しようとする人がいることも間違いない。大谷が、もっとずっと締まり屋で、決して多額の寄付をしたり、融通したりはないという人間であれば、水原氏が、7億円近い借金の返済に協力してほしい、などと頼みにいかなかったかも知れない。そして、そういう違法性のある行為の始末をすることが問題であることは、常識があればわかることだから、水原氏の願いをいれる前に、球団なり弁護士に相談することを、しっかりした金銭感覚の持ち主だったら、実行するに違いない。違法行為に加担することが、自分の人生を台無しにする可能性があることは、当然認識していなければならない。大リーグは、毎年、シーズン開始前に、全員に対して、賭博問題についての講義を実施しているということだ。だから、何度も大谷は、そのことを聞かされているはずである。まさかとは思うが、通訳が水原だから、正確に通訳しなかったなどということで、大谷が正確な理解をしていなかったなどということなのだろうか。
 あるいは、大谷が全く知らなかったということだったとしても、それなら窃盗にあったわけで、資金管理やパソコン管理が徹底していなかったことになる。あれだけの収入があってそうした管理が甘いとすれば、かなり危ない状況だ。

 球団は当然大谷を守ろうとするだろうが、守りきれないこともありうる。なにしろ、大谷の口座から違法賭博の人間に巨額な振込があったことは、事実だろうから、大谷が賭博をしなかったとしても、違法行為を認定される可能性はあるわけだ。
 大リーグを追放されたら、日本のプロ野球は受け入れるだろう。日本では、やはり被害者として理解されるだろうし、日本で違法行為をしたわけではない。日本でプレーすれば、実際に大谷を見ることができる。大リーグで活躍するのもいいが、実際にそのプレーをみれないよりは、見られるほうが、野球ファンにはうれしいかも知れない。

ポリーニが亡くなった2024年03月25日 20:12

 20世紀後半を代表するピアニストの一人であるマウリツィオ・ポリーニが亡くなった。ポリーニのことは、何度もブログで書いたし、たった一度だけだったが生の演奏を聴くことができたので、そのことも触れた。生涯で聴いた最高の演奏会だった。まだ30代でバリバリの、いく所敵なしという感じのときの演奏会だった。ただし、リサイタルのチケットはあきらめていたので、N響の定期会員になった。まだ未定のときだったが、来日すれば、かならずN響に出演するに違いないと考えてのことだった。
 そして、実際にN響に出演し、ショパンの2番のコンチェルトを弾いた。定期会員だから、同じ席(しかも3階という響きのよくない場所だったのだが)でたくさんのピアニストを聴いたのだが、ポリーニの音は、まったく特別だった。ピアノってこんなにきれいな音なのかとびっくりしたものだ。最初の出だしの音から、美しく、そして引き締まった音に驚いたが、第二楽章のころがるような繊細な音も、うっとりするような音だった。
 そして、アンコールで弾かれたバラード1番は圧巻で、後に座っているN響の団員たちが、まったく熱狂する聴衆と化していたのは、ライブ映像を含めて、このとき以外にはなかったように思う。
 ポリーニが嫌いな人もけっこういて、無機的だとか、表情に乏しいなどという批判をしていたが、何を聴いているのだろうかと思う。若い頃のライブ映像をみると、ポリーニが、いかに音楽に没入し、渾身の力をこめて演奏しているかがわかる。

 さて、ポリーニの偉大さとは何か。それはいくつかあると思う。
 ポリーニが現われるまでは、世界トップレベルのピアニストは、たいていベートーヴェン弾きとショパン弾きという類型に分けられていた。ベートーヴェン弾きの代表は、バックハウス、ケンプであり、ショパン弾きの代表はコルトー、ルージンシュタインなどだろう。ホロビッツなどのように分類しにくい人もいたが、強いていえばショパン弾きに近いという印象をもたれていたと思う。正しいかどうかは別として、ベートーヴェンの音楽は「構築」性が強く、ショパンは「叙情性」が強い、それに応じてピアニストもどちらかを得意とするようになっていたのではないかと思うのだが、ポリーニは、その両面を完全に駆使することができるピアニストだった。彼以前にはいなかったといえる。アシュケナージはもっと広いレパートリーをもっているが、彼が若いころは、ベートーヴェンの演奏家としては評価されておらず、ソ連から亡命して、西側で活動するなかで、再度ベートーヴェンを徹底的に勉強し直した結果、ベートーヴェン弾きとしての地位を確立したとされる。
 ポリーニは、その点最初から両方の領域で決定的な名演を実現した。
 ポリーニが圧倒的な演奏で世間を驚かせたのは、ショパンの練習曲集だったが、それから間もなく、ベートーヴェンの後期ソナタ集で、またまた驚異的な名演を残した。ハンマークラビアソナタが、あれほどの技術的安定感と強い説得力で演奏されるとは、それまで考えられもしなかったのではないだろうか。そして、ショパンの練習曲集は、発売を予定していたアシュケナージが、ポリーニの演奏がでるという情報をえて、自身の発売を延期し、再度部分的に取り直して発売したと言われるように、世界的なピアニストにすら、大きな衝撃を与えたのだった。
 要するに、ポリーニは、その後のピアニストに対して、音楽性(構築性と叙情性)と技巧とを兼ね備えていることを、最低条件にしてしまったのである。
 だから、その後のピアニストは、ショパン弾きとか、ベートーヴェン弾きなどというレッテルが貼られることもなくなった。両方弾きこなせなければ世界には通用しなくなったのだろう。日本の代表的なピアニストである横山幸雄が、ショパンの全曲演奏会をやり、ベートーヴェンのソナタ全集を録音しているということが、この変化を象徴している。(続く)

ポリーニが亡くなった(つづき)2024年03月31日 21:57

 向かうところ敵なし状態だったポリーニに、重大な問題が発生する。手の故障である。事情をよく知る人の話では、腱鞘炎になったということだ。そして、実際の症状よりも、精神的な焦りのようなことのほうが、大きな問題だったようだ。不運だったことは、誰にも訪れる高齢化による技巧的な衰えが始まる時期と重なったことだろう。40代後半に腱鞘炎になったとすると、それ以後、腱鞘炎を克服したとしても、やはり、再発の恐れなどに囚われるはずである。
 そうした影響が出始めたころ、ネットでは、ポリーニは練習不足だとか、怠けているなどという書き込みがけっこうあった。しかし、私からみると、練習不足などではなく、練習のやりすぎで腱鞘炎になってしまったわけだ。

 カルロス・クライバーの伝記に、次のような内容が書かれていた。原本を今所有していないので、正確ではないが、ポリーニは、熱心にクライバーに対して共演しようと提案していたのだそうだ。クライバーは乗り気ではなかったのだが、ポリーニの熱心さにまけたのか、承諾して、予定もたてられた。しかし、実現する少し前に、ポリーニから断りがあり、それは病気のせいだと説明があったというのである。そして、その後、共演の話はまったくでなくなった。ポリーニは、他にも、共演を断った事例がある。私の記憶では、シェーンベルクの協奏曲をブーレーズと演奏し、録音計画があったが、その計画はキャンセルされ、その後アバドとの共演で録音が実現している。クライバーとの共演が実現しなかったのは、私は、ポリーニの腕の故障が原因であると思っている。病気が単なる風邪とか、医療で治るものであれば、治った段階で、共演が実現してもおかしくない。しかし、まったく話がでなくなったのは、ポリーニが故障によって、少なくともクライバーのような完璧主義者との共演を躊躇するようになったのではないかと思われる。

 ポリーニの録音時期からすると、私が感じ取った限りでは、ショパンのスケルツォ集のときには、影響が出始めており、パラード集では、技巧的にも、解釈的にもはっきりとマイナスの影響が現われている。私が実演を聴いて圧倒されたバラード1番は、これがポリーニかと思われるほど、前のめりの落ち着かない演奏になっていて、若いころのEMI録音と比較すると、その違いがよくわかる。もうあの完璧なポリーニを聴くことはできないのだ、と悲しい思いになったものだ。

 だが、世の中、やはり多様な受け取りがあるもので、全盛期のポリーニは嫌いだが、テクニック的に衰えたポリーニの演奏は好きだという人が、少なくないのである。要するに、ロボットが演奏しているような無機的なものではなく、人間味を感じるというのだ。
 海外の論調はわからないが、日本人のこうした晩年のポリーニの高評価は、おそらく、「歌心」がテンポや強弱の揺れによって感じられるという、一種の演歌的感性によるものではないかと思っている。たしかに、歌いこむときには、テンポを揺らすことが多いし、意図的に強弱をつける。しかし、ポリーニは豊かな感情表現で歌心を示すときにも、こうしたテンポの揺れなどを手段として使わない。曲そのものが要請するテンポの変化はつけるが、いささかも恣意的な感じはしない。にもかかわらず、ポリーニの演奏には豊かな歌がある。それは、おそらく、彼のピアノの音そのものが歌っているからであろう。歌の国イタリアの演奏家らしい側面だ。トスカニーニがそうだった。音そのものが歌っているので、テンポを揺らす必要がないのだ。しかし、その音そのものを感じ取りにくいと、ポリーニの演奏は、いかにも無機的にしか響かないのかも知れない。
 故障後のポリーニは、どうしても前のめりになったりするテンポの揺れが目立つようになった。それを歌心として感じるのではないだろうかと思っている。しかし、残念ながら、そのときのポリーニは、音そのものの歌がかなり失われてしまったのである。

 もうひとつ、若き全盛時代と、衰えた晩年で非常に目立った変化がある。それは、演奏後の表情だ。若いころは、どんなに圧倒的な名演をし、聴衆が沸き立っているのに、にこりともしないでお辞儀をしていた。いかにも、今の演奏には、自分が満足できないのに、このひとたちは何故こんなに熱狂しているんだろう、といわんばかりだった。
 しかし、晩年のライブをみると、聴衆の拍手にうれしそうに、にこにことこたえている。もっとも、ドヤ顔ではまったくなく、拍手してくれてありがとう、という感じだ。晩年のインタビューで、何故高齢になってもピアノを弾くのかと問われて、楽しいからだ、と答えていたのだが、そういう心境になっていたということなのだろう。
 しかし、あの完璧な演奏を聴き、それでもまだ高みをめざしていたポリーニを知っている者としては、あの全盛期に世界各地で行っていたベートーヴェンのソナタ全曲演奏の録音をぜひCDにしてほしいと思うのである。ドイツグラモフォンは、ポリーニの演奏会は、すべて録音していると雑誌で読んだことがある。いまこそ、その録音を活用してほしいものだ。