ウィーンのニューイヤー・コンサート ティーレマンはやはり共感できなかった2024年01月10日 19:05

 今年は、1月1日の実況ではなく、6日に放送された録画で視聴した。実は1日に録画予約しておいたのが、録画されていなかった。おかしいと思っていたが、実際に地震のために放送が中止されていたことがわかった。
 一応二度聴いたが、やはり、5年前の印象は変らなかった。ティーレマンはウィンナ・ワルツには向かない指揮者だということだ。ティーレマンは、若いころに、カラヤンの勧めもあったようだが、オペレッタをさかんに指揮したようだ。そして、ドレスデンのジルベスターコンサートでレハール特集をやっていた。だから、こうした音楽が好きなはずだ。そして、特に速いポルカはとてもいいのだ。今回では、エドゥアルト・シュトラウスの「ブレーキをかけずに」などは、実にいい感じだった。しかし、最初のワルツ、これは比較的知られた曲だが「ウィーンのボンボン」からして、こうやるだろうというティーレマン節全開だった。これは純粋に好みの問題かも知れないが、私には気に入らなかった。
 ウィンナ・ワルツというのは、他のワルツと異なる演奏上の特徴が二つある。
 ひとつは、三拍子のリズムの2拍目をほんのわずか前にずらして演奏することだ。これは、ウィンナ・ワルツは実際に踊られることを前提にして作曲され、実際にウィーンの舞踏会などで毎年たくさん踊られるのである。そうした踊り(円舞曲だから女性がまわることが多い)を踊りやすくするために、リズムのずれをつくりだすのである。そして、これを本当に自然にこなすのはウィーンの団体、とくにウィーン・フィルである。ただ、これはウィーン・フィルにまかせておけばいいので、ティーレマンの演奏で不自然になることはない。
 もうひとつは、ウィンナ・ワルツは、ABという形のワルツをひとつのまとまりとして、そうしたワルツが3つ4つ接続されて一曲になっている。そして、Aが始まるときには、テンポを少し落として、少しずつあげていくという演奏スタイルをとる。こちらが、たとえウィンナ・ワルツのプロであるウィーン・フィルを相手にしても、指揮者によって、かなりやり方が異なってくるのである。
 よくお国ものの音楽を演奏するときに、その国の人がやると、あっさりとした表現になることがおおいのに、他国の人がやると、そのお国的要素がかなり強く押し出されることがあるといわれる。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでも、その傾向がみられる。ティーレマンの演奏は、前回もそうだったが、Aが始まるときのテンポを非常に遅く取り、少しずつ少しずつあげていくことが多い。ここで、私はどうしても誇張を感じてしまうのである。生粋のウィーン・フィル奏者で、長くニューイヤー・コンサートを指揮したボスコフスキーの、ウィーン・フィルによる6枚組のウィンナワルツ集のCDがあるが、どの場合でも、このテンポの落とし方やあげかたは、極端になることはなく、比較的あっさりとしているのである。もうひとりのオーストリア人の指揮者であるウェルザー・メストは、大指揮者であるからか、ボスコフスキーよりはめだつが、それでも非常にあっさりとしている。しかし、ゆっくり始めて少しずつあげる、という雰囲気が十分にでているのである。
 ティーレマンは、同じドイツ系とはいえ、ベルリン生れのベルリン育ちで、しかも、最大の得意演目はワーグナーだから、やはり、スケールの大きな音楽づくりを特徴がある。テンポも概してゆったりとる傾向がある。クナッパーツ・ブッシュを思わせるところがある。しかし、ウィンナ・ワルツというのは、やはり、粋で軽快な音楽なのである。だから、
どちらかというと、テンポを速くとることが多い指揮者のほうが、ウィンナ・ワルツには向いている。カラヤンやカルロス・クライバーなどが、その代表だろう。ウェルザー・メストもそうだ。
 ということで、今回もやはり、予想通りテレーレマンのワルツの演奏には共感できなかった。ただし、ひとつだけ例外がある。カール・ツィーラー作曲の「ウィーン市民」の演奏で、これにはバレエが入った。このバレエの映像は、いつ撮影して、演奏との関係はどうなっているのかは、毎年疑問に感じるのだが、いまだにわからない。演奏もバレエも別撮りで、実際に会場で演奏されているのではない音楽が流れていると思うのだが、どうなのだろうか。それはいいとして、さすがに踊ることが前提になっているので、Aのはじまりのテンポの落としかたが、実に小さいのだ。そして、それが非常に自然に響いていたのだ。このワルツの演奏はとてもよかったし、生き生きとしていた。やはり、ウィンナ・ワルツは踊る音楽なのだ。

 それから、毎年あるゲストとの対談で、楽壇長に、演奏曲目はどうやってきめるのか、との質問があり、それに、まず楽壇側が案をつくって、それを予定指揮者にもっていき(夏)指揮者が自分の希望をいって調整するということだった。最近のニューイヤー・コンサートは、これまでやらなかった曲が非常に多数含まれるようになっているが、それは指揮者の好みではなく、楽壇の方針なのだということがわかった。
 最後に、プログラムの最後はヨーゼフ・シュトラウスの「うわごと」だったが、これはカラヤンお気に入りの曲で、カラヤンのウィンナ・ワルツのCDや演奏会にはかならずはいっているのだが、久しぶりにカラヤンのも聴いてみた。やはり、年季のいれかたもあるだろうが、カラヤンの演奏は流れがよく、魅力的な音楽と聞こえてくるが、ティーレマンのは、あまりに作為的な部分が目立つと感じた。