万博は世界のお荷物になっている2024年01月03日 21:14

 大阪万博は、昨年進捗状況が芳しくなく、とうてい間にないそうにないと多くの人に知られるようになった。なにしろ、万博の華ともいうべき、主要国のパビリオンの実際の建築計画の提出がほとんどなく、実際に現在着工しているAタイプのものは皆無である。そして、もし工事計画が出揃い、工事が始まることになっても、島である開場にアクセスできる道路が1つしかないということで、多数の工事車両が出入りすることなどできないと考えられている。電気・水道等のインフラも不充分にしか設置されないだろうし、肝心のトイレなども、主催者が来場すると考えられる人数が実際にやってきたら、圧倒的に不足してしまうほどしか設置されないのだといわれている。
 要するに、すべてが後れているのだが、そもそも、今回の万博は、開催主旨から極めていかがわしいものであるというのが、識者たちの見方といえる。
 命を大切にするとか、持続可能性などが謳われているようだが、そもそも通常の万博は、持続可能性とまったく反したものである。万博開催の絶対条件なのかどうかはわからないが、これまで日本で開催された万博では、終了後すべて建設物は撤去されてきた。(もっとも、ドバイでの万博では設置物が遺され、有効活用されているという話もきいているので、万博の規則になっているものではないのかも知れないが、とにかく、今回の大阪万博では、すべて撤去されることになっているようだ。)
 森をつくるそうだが、その森も撤去されるという。高額な費用で木を移植して、また撤去する。どこが、持続可能性、SDGsなのか。完全に反対物としての構想である。

 こうしたことは、すでにとくにyoutubeを中心に、さんざん批判されている。だから、これ以上のべない。むしろ、私が考えていることは、なぜ、これほどまでに、参加国からの具体的な実施計画がでてこず、工事が始まらないのかということだ。主催者たちは、あわてて申し込み国を説得するべく活動をしているようたが、それでも、満足にでてこない。
 結論的にいえば、大阪万博が承認された時機とは、国際情勢がまったく変わってしまったので、各国が万博どころではない、だから、やりたくないのが本音だろうということだ。それにもかからず、催促してくる日本にたいして、迷惑な国だと思っているのではないだろうか。
 現在、世界ではウクライナ戦争が続いており、そこに、イスラエルとハマスの戦闘、そして、紅海をめぐる米英とイエメンの衝突、そして最悪の場合イランとの衝突が危惧されている。さらに、南米では、ベネズエラが領土拡張の軍事行動を起こしており、イギリスが艦船を派遣して、これも戦争になる危険性がある。
 われわれ日本では、中国と台湾の衝突、朝鮮半島の衝突など、身近に危険がある。
 つまり、現在は、有機的に結びついた状況ではないが、世界中で戦争、それに準ずる武力衝突、そしてその恐れが覆っているのであって、正直万博どころではないというのが、本当のところだ。日本はまだ直接、そうした武力衝突にかかわっていないから、のんきに構えているが、万博に大きな展示会場を設営するような国は、軒並み、間接的に戦争、戦闘にかかわっており、そちらが深刻な政治課題になっているわけである。
 したがって、できることなら、万博など中止してほしいと思っているに違いないのである。

 大阪万博を推進しようとしているひとたち、そして政府は、そういうことをまったく考えないのだろうか。一旦決めたことを中止するのは、国家としての信頼感をそこなう、などといっているようだが、この国際情勢のなかで、とくに、カジノ設営のために利用しようなどという魂胆である万博を、無理に開催して、それにつき合わされるほうが、ずっと国家に対する悪感情を醸成するのではないだろうか。
 ここまで主要国が計画をださないというのは、日本が辞退してくれるのを待っているのだと、私は強く思っている。万博開催を今回は中止する、それは世界から感謝されることになるはずだ。

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